文化ネタをもうひとつ。
伝統文化を守り伝えることは必要か。
プロパンガスは、全然そうは想わない。
わざわざ伝えていこうなどと身構えなくても、伝える価値のある文化というのは勝手に伝わっていくものだ。
合理的でも便利でも快適でもないような文化を必死になって伝えていくことなど、やりたい方はどうぞご自由にやっていただければいいが、プロパンガスはかかわりたくない。
箸の持ち方もそうだが、もうひとつ典型的なのが、おせち。
あれ、食うものないな。
もひろん最近デパートで売っているようなアレンジしたおせちにはちゃんと食えるものも入ってるんだけど、いわゆる伝統的なやつ、あれはほとんど拷問だ。
食えるのは、焼魚とか黒豆ぐらいだな。
田作りとかなますとか煮〆とかわかさぎの南蛮漬とか、勘弁してもらいたい。
素材そのものは不味いわけでもないのに、保存食化するために不味い調理が施されている。
海老だって焼けば美味いのに煮てあるし。
生で食えば美味い数の子も煮てあるし。
正月三が日、主婦が家事から開放されるように保存の利く調理が優先されていて、美味く食べようという視点が完全に欠落している。
大昔ならいざ知らず、冷蔵庫・冷凍庫があればあんな不味い味付けにしなくてもいくらでも保存できるし、レトルトだってデリバリーだって何だってある。
「よろ・こぶ」などというダジャレで喜んでる場合ではない。
正月だからって不味いもの喰わされるの、ちょっと酷だろう。
でもなあ・・・・。
娘には、ある程度の年齢になるまでは伝統的なおせちを食べさせないわけにはいかない。
娘がおせちも知らずに大人になるなんて、想像するだけでぞっとする。
男なら何でもいいが、女の子はいかん。
こうやって、不本意ながら文化が伝承され、新しい年が明ける。