今日は、江川 卓投手と時代を築いたこの投手。
巨人 → 中日 → オリックス → 巨人 西本 聖 さんです!
1974年 愛媛県の松山商業高校から、ドラフト外で読売ジャイアンツに入団。
西本さんの凄いところは、フォームもそうですが、リアルの「巨人の星」であるところ。
電車に乗る際に、つま先立ち。 アピールも含めて、打撃練習で全力投球。 などなど、層の厚い巨人軍でアピールを重ねます。
入団3年目の1977年には8勝を挙げ、1軍に定着し、その後もコンスタントに勝利数を重ねます。
1981年には18勝をし、沢村賞を獲得します。
登板試合のエピソードでは、先発時に使用するグローブは、それ一回きりという舷を担いでいたようで、毎年登板の度にグローブを注文していたんだとか。
ライバル江川 卓投手が引退した後、低調になります。 そして、1989年捕手としての活躍場を求めていた、中尾 孝義捕手とのトレードで、中日ドラゴンズに移籍。20勝を挙げ、最多勝を獲得します。
背番号は移籍初年度「25」 翌年から「24」
翌年も11勝を挙げ活躍するものの、椎間板ヘルニアの手術の影響により活躍できず、戦力外に。
西本さんの理解者だった、土井正三監督に誘われ、オリックスブルーウェイブに入団。5勝を挙げるものの、交渉決裂で1年で退団。
1994年に、巨人へ再入団したものの、当時の投手コーチだった堀内恒夫さんが西本さんの復帰を抵抗したこともあり、オープン戦は1度のチャンスのみで、その後は活躍できませんでした。
引退試合は、あの「10.08決戦」のため、シーズン最後まで勝負が余儀なくされ、見送りに。
若き頃に練習を重ねた、多摩川グラウンドにて、定岡正二率いる「サダーズ」と対戦。
西本さんに慕う、桑田真澄、立浪和義、山本昌、中村武志選手、更には長嶋茂雄監督と対戦し、引退。
その後は、阪神→ロッテ→オリックスなどで投手コーチとして力を発揮。今年から韓国のハンファ・イーグルスにて選手を鍛えます。
才能よりも努力をする選手としての印象が強い西本さん。だからこそ、慕う選手が多いんですね。
ありがとうございました。