阪急 福本 豊さん | プロ野球カードとサイン

プロ野球カードとサイン

プロ野球カードとサインでは、BBM・カルビー・タカラといった、NPBを取り扱うトレーディングカードを中心に選手の経歴を紹介。

アメンバー限定記事は主に球場でサインを貰う(インパーソン)際に更新しています。

80年代〜90年代のOB選手を中心です。

関西発 「世界の~」といえば・・・



阪急 福本 豊 さんです。


ご存知、「世界の福本」


大鉄高校時代は、控え選手で球拾いをしていたそうで、その感覚で、ファーストのカバーに入ったことがキッカケで、監督に評価して貰えるようになり、レギュラーに定着。


卒業後は、松下電器に所属。チームを都市対抗野球大会まで導きました。


1968年 ドラフト7位で阪急ブレーブスに入団。


当初、ドラフト指名をされていることを知らず、翌朝会社の先輩がスポーツ新聞を読んでいるのを見て、


「なんかおもろいこと載ってまっか?」と尋ねたところ、


「おもろいことってお前、指名されとるがな」と言われ、


そこで初めて自分が指名されたことを知ったそうです笑



1年目から1軍に出場。開幕戦で代走として出場したものの、盗塁失敗。


あの盗塁で名を馳せた福本さんの最初の盗塁は、失敗だったのです。


1970年 127試合出場し、レギュラー定着。75盗塁で、盗塁王を獲得します。


1972年から背番号を「7」に変更。その年に、日本プロ野球初の3桁盗塁を記録。


そこから13年連続で、盗塁王を獲得。


生涯盗塁数 1065盗塁。


1992年に、リッキー・ヘンダーソンに世界記録を破られたものの、「世界に通用する福本」として、今も記録に残っています。



2002年 野球殿堂入り。


過去には、首相の中曽根 康弘から国民栄誉賞を打診されたものの、


「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」


と、発言し、固辞したそうです笑


1988年 同期の山田 久志投手の引退試合で、福本さんも突然引退することを発表。


阪急が身売りをしたことも、引退を決断した大きい要因だったそうです。


その後は、オリックス、阪神のコーチをし、現在は野球評論家として活躍しています。


解説でも名(迷?)言を残しています。


有名なのが、投手戦で0が並んだまま延長に入ったスコアボードをみて


「たこ焼きみたいやね」。


今後も発言に期待です!