阪急・オリックス→ヤクルト 森浩二さん | プロ野球カードとサイン

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80年代〜90年代のOB選手を中心です。

ながーく裏方として活躍させているこの方



阪急オリックスヤクルト 森 浩二さんです!


現在は、球団本部の編成部で活躍する森さんは、


高知商業高校2年次の甲子園、後に広島へ入団する 西田 真二 さんがエースのPL学園高校に、逆転負け。


3年次春の選抜では、後中日の牛島和彦さんが率いる、浪速商業高校に2回戦目で敗退。


そして、夏の甲子園では、準々決勝で敗退と、悔しい思いをし続けた、森さん。


1979年 ドラフト2位で、阪急ブレーブスへ入団します。


入団3年目の1982年には、1軍初登板。そして、翌年には初勝利を記録します。



左の中継ぎ、ワンポイントの貴重な戦力として、


1988年には42試合、1989年には40試合と、2年連続チーム最多登板を記録します。


登板が多い中で、負けの記録ではありますが、森さんは、


1球敗戦投手を2度」 (1984年vsロッテ、1989年vsダイエー)


経験されています。


これは、非常に珍しい記録で、1度だけ経験されている投手は26名(最近だと阪神:加藤康介)


2度経験されているのは、森さんただ1人なんです。


それだけ、大事な場面を任せられていた証拠ですね。




1990年は、怪我の影響があり、登板数が激減。


その後も、1軍登板数が増えることはなく、1992年のオフに、西岡 剛投手とのトレードで、ヤクルトスワローズへ移籍します。


そして、1993年には中継ぎとして21試合登板。復活を果たし、リーグ優勝に貢献しました。


ヤクルト監督の野村克也氏が、のちに言われるようになる、「野村再生工場」の一人です。


その年限りで、引退を発表。


1994年からは、打撃投手として古巣 オリックスへ入団。2007年まで長きに渡り、同ポジションを担当しました。


そして、2008年からは、若手選手の寮「青濤館」の副寮長を務め、2010年からは寮長を担ってらっしゃいました。



ちなみに、1球勝利を二度経験している選手は、巨人楽天 金刃 憲人投手 です。


今後も、1球で勝敗に係わる珍事があれば、森浩二さんの「1球敗戦2度」エピソードが紹介されそうですね!