「………………。」
「あ、あの、蓮さん………?」
「………………。」
もう6年前になるだろうか。
久しぶりに日本の地に立ち、再起を誓った時、俺は確かに『完璧な日本人』になったつもりだった。
「え、え~~~と……。魚にはですね?食べ方というものがありましてですね…。」
「………………。」
いや、分かっていた。『完璧な日本人』になりきれていないことは、分かっていたのだ。
『天手古舞』で笑われた時なんて典型的だったじゃないか。
あれはものすごく恥ずかしかった。
あのニワトリ君があれほど笑い飛ばしてくれなければ、もっと恥ずかしかったに違いない。
……今思えば、無遠慮に笑ってくれたのは、彼なりの優しさだったのかもしれない……
「し、仕方ありませんよ。だって、ほら、蓮さん……食に関心、ありませんものね?」
「………そうだね、そもそも、それも問題だよね………。」
今、目の前にいるのは、愛しい少女。
先ほどまで、俺の手で汚されそうになっていた、可哀そうな清らかな乙女。
「で、でもほら、蓮さんはお箸の使い方が綺麗ですよ!!まるで基本のようなクセのないお箸使い!!むしろ日本人らしくないくらいの美しさです!!」
「…………………。」
その哀れな少女が、地味に俺を攻撃してきていると思うのは、被害妄想でしょうか…!!!!
「あ、あぁぁぁぁっ、ど、どうしてそんな凹まれているんですか!?ほ、ほめたのに!!」
「…………いや、どう見てもほめられる状況じゃないよね、これ。」
目の前には、いい色合いに焼かれた魚のお頭と……それ以外の何か、に分かれたものがある。
「木っ端みじんという感じですね!!むしろ芸術作品!!」
「全く褒めていないよね。というか、これ、食べ物だから。芸術作品じゃないから。」
頭があることで、魚だったものであることは分かる。
だが…頭以下が、骨も身も、全てがグチャグチャになってしまっているのだ。
「それにしても、蓮さんの箸さばきはすごいですよね。頭と胴体を一発で切り裂いた時には、どうしたらそんなことができるのかと思いました。骨があるのに。」
「……………。」
何やら本気で感心しているようだが、全然褒められていないことは分かる。
「料理もワイルドでしたが、食べ方もワイルドですよね!!」
「…………。」
……まぁ、ワイルドなのかもしれないね!!俺は紳士じゃないからね!!むしろ野性味の方が強いかもね!!……
「骨と身がごちゃまぜになっちゃいましたねぇ。でもむしろ、これ、骨まで食べられる完璧な状況とも言えなくもないですね…。鯛じゃないのでいける気がします!!」
「まぁ、フレークみたいになっているといえば、そうなのかもしれないけれど…。」
よくよく考えたら、こういう魚を丸焼きにされた状態のものを食べたことがなかった俺は、とりあえずナイフとフォークを使うかの如く、魚を箸で分断していった。
まず頭と胴体を分断。その後、魚を縦に食べられるくらいの大きさに分断していった。
だが、ナイフとフォークのようにきれいに切れるわけがない。箸では切れないじゃないかと思いながら、必死に格闘して…なんだかいろんなものが混ざった状態になったところに、壮絶な表情で皿を見るキョーコに気が付いて…今に至る、というわけだ。
「あれですね、これは『骨まで食べます!』アピールになるかもしれませんねぇ。」
「こんなグチャグチャにして?」
「グチャグチャになって、お皿も汚していますけれど…それでも、きれいに全部、食べるんですよね?」
「まぁ、せっかくキョーコが作ってくれたものだから、全部食べるよ。」
喉に刺さるほどの骨は…見たところないし。……というより、俺、よくこんなお箸で骨を粉砕できたな。というより、これだけひどい扱いをしても折れない俺の箸はすごい気がする。
「グチャグチャになって、汚れてしまっても、全部食べてくれる…。」
「え?」
「……そういう、ことですよね………。」
「?え、今、何て言った?」
もはや骨まで食べられるフレークもどきの焼き魚を、とりあえずお箸で掬いあげようとしていた俺は、キョーコの言葉を聞き逃した。
「いえ。敦賀さんは見かけによらずワイルドなんだなぁと思っただけです。」
「……あぁ~~~…。まぁ、好きな娘をいじめて喜ぶような男だしね?……こういう俺は嫌?」
クスクスと楽しそうに笑ったキョーコは、そんな俺の問いに首を左右に振ってくれる。
「いいえ。可愛くていいと思います。」
「……いじめをする野性味あふれる男は可愛くないと思うけれど。」
「いいえ。可愛いですよ、とっても。」
「……それに、俺のイメージに『可愛い』はあまりふさわしくないと思うけれどなぁ…。」
昔の『天使』…キョーコには『妖精』と呼ばれていた頃ならばいざ知らず。
今の俺に『可愛い』要素はどこにもない。
「いいえ。敦賀さんは昔から『可愛い』人でしたよ。」
「え?」
「クスクス…敦賀さんの可愛いところ、私は大好きです。」
「っ!!!!」
納得しかねるところではあったが、『大好き』と言われてしまえば仕方がない。…うん、俺のどこが可愛いのかは分からないが、とりあえずキョーコが俺のことを大好きならばそれでいいか。
「でも、さすがにこんなワイルドな敦賀さんを見せてしまうと驚かれてしまうと思いますから、ちょっと練習しましょうか?」
「?え?」
「ここに私の焼き魚があります。…今日は食べ方を見るだけ見てもらって。また次の機会に、練習しましょう。」
ニコニコと邪気なく笑うキョーコ。
「え~~~っと……。」
「大丈夫です。大将、敦賀さんのこと絶対に気に入ってくれますよ。」
「っ!!!!」
この言葉で初めて、彼女が俺のリクエストの意図を理解していることに気が付いた。
「一緒に、練習しましょうね?」
「っうん、そうだね…!!」
全く、この娘は……!!どうして普段は恋愛ごとに劇的な鈍さを発揮するのに、こういうことには鋭いんだっ!!!!
「……残さず、綺麗に食べてくださいね?」
「っ!!!!」
「いただきます。」と綺麗な箸さばきで魚を食べ始める彼女を見つめていると、こんな言葉を投げかけてきた。
……分かっている。今のは俺の目の前にあるフレークもどきになってしまった焼き魚に対してだ。別にそれ以上の深い意図はないだろう。
けれどもっ!!違う意味にとってしまうのは、俺が穢れた大人だからなのかっ!!それとも彼女を愛しすぎて、紙縒りがモロモロでボロボロだからなのかっ!!
「………君には一生、勝てる気がしないよ。」
脱力しながら敗北宣言をする、俺。
そんな俺に、目の前の俺の唯一の『女』が、嬉しそうに微笑んだ。