3ヶ月 | れおの結果allright!

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れおのアレコレ不定期更新日記です(*'ω'*)

6月17日
今日は母の3回目の月命日です。


大学病院の主治医より
余命2か月の宣告を受けた後
母は一月余りで旅立って行きました。


本当に身の置き所が無いくらい状態が良くなかったのに
職場から1時間弱かけて母の元に通う私に
「もうお帰り…早く寝るんよ」と言ってた母が
帰りなさいと言わなくなった日
私は家に帰ってから、仕事を休んで
母の看病をする決心をしました。


残された時間は、本当に僅かしかないかも知れない
そう思ったら
仕事は失っても仕方ない…
こんな状態で一人病室に置いておけないと思い
上司に休みたい旨を申し出ると
快く休むことを承諾して貰えました。

翌日から病院に泊り、ずっと一緒に居ました。
従姉妹も協力してくれて
仕事が終わってから毎日来てくれ
その間、私は家に帰って用事を済ませ
そしてまた母の元へ…
一番年上の従姉妹は、毎日病院に来てくれて
夕方まで一緒に居てくれました。

激しい痛みに苦しむ母への最後の治療は
麻酔を使って昏睡状態にする事でした。
その治療を始めると、半日くらいで息を引き取る人も多く
数日で亡くなってしまうと言う事でした。
主治医に呼ばれ
「このままじゃ蛇の生殺しのようなものです」と言われ
必至で良くなろう、そして退院して家に帰ろうと
痛みに耐えてる母への選択肢はそれしかないのか…
どうしようもない・・・その選択をするのは私しかいない・・・
母さん・・・ゴメンね…廊下で泣いて笑顔で病室に戻りました。


薬の投与の準備が出来
母の点滴のポートに薬が繋がれた時
何にも知らない母に
「母さん」って声をかけると
「はい・・・」と
母は諦めたような寂しそうな顔で私を見つめました
心の中で、何度も母に謝り続けました。



昏睡状態になった母は
3日後の3月17日9時35分に息を引き取りました。


亡くなる日の朝
看護師さんから
「音は聞こえてるので話しかけてあげてくださいね」と言われ
従姉妹がやってくる前の二人だけの時間
「母さん、この治療終わったら家に帰ろうね」
と声をかけました。
母は必至で声の方を向こうと首を振ってました
これが私と母との最期のコミュニケーションになりました。


今月24日は母の百日法要です。

母さん
何とか私頑張ってるから!!
振り返らず、父さんの所で穏やかに過ごしてください。