2014/03/11 | aina's life

2014/03/11


今日、ベットから先に起きて行った娘。

部屋の向こうからトイレの流す音が聞こえて
もどってきたとおもったらクローゼットからパンツを取り出して
履き替えていた。


どうしたの?と、聞いたら

「ちょこっともらしちゃったの。だからキティちゃんのパンツをはいたの…」


私「それで、プリキュアのパンツの方はどうしたのよ?」


「ここ」

と指差した先は、タンス。



「ちょっと!なんで汚れてるパンツをそこに入れるのよ!(;OдO)??」

と慌てて飛び起きた2014/03/11 の朝。




3年前の娘はちょうどベットを乗ったりおりたりが出来始めた頃だった。




物を買って、喜んだり
美味しいものを食べて喜んだりして
明日はなにしよう?
と、常に当たり前にあるものだとおもってた明日や明後日
1年後を、考えて生きていた。



煮え切らない日本の政治にもたいした興味もなかった。


被災もしてない私なのに
3年前から視点は変わった。

それでもこの三年間
自分の中でも無意識に「見ないフリ」をしていたことは沢山。

日常で起こる、家族の問題や誰かの死を目の当たりにして


数百キロ先でまだ進んでいない復興のことなど

頭から離れてしまうこともある。


だけどやっぱりこうやって
節目節目での過去への追悼や
そこで同時に自分を振り返ることが必要なんだとおもう。


ねえ、ちゃんと心から誰かのために生きている?

ねえ、フタをあけたら空っぽの自分になっていない?

モノ にだけ満たされる人生ほど虚しいものはない。

などと、あの女性がいっていたのは有名だっけ。


モノ は所詮 モノ。

一瞬を満たしたとしても、肌に乗せた水のように
すぐに蒸発して行く。


本当の面で必要なのは

ココロ。


そこを満たした上で、初めて好きな「モノ」を持って
満たされる。
そこで、初めて
着るもの、使うもの、持つもの
に救われる。

その力は、計り知れない。



3年間の間でまさにそれに気づけた自分がいた。

いのちより大事なものなんか、何もない。


まだ見つかっていない2000人以上の人達。
その後ろにいる恋人や家族、友達。

魂だけでも、そばに来てはくれないだろうか。



これからまた3年後
私はまた歳を重ねて

娘は、大きな成長をしているんだろう。


義援金が被災者に渡っていない現実。

住む家がまだ、8000世帯以上で来ていない現実。

小児甲状腺癌の発症率の現実。



寄付や政治参加以外に
出来ることは、たくさん。


見ないフリをしていたら
聞こえてるのに聞こえないふりをし続けるんだったら

どうなるかの覚悟くらい自分で決めておかなければ。





今日もあったかいご飯をつくって
笑って
触れ合って
遊んで


それをただ、明日からも続けて行こう。


生きてる限りは。


photo:01








※更新していなかったのに、まだ見に来ていただいてる方が多くて驚いてます!ありがとうございます!
今日はあえてこちらで記録してみました。


心よりご冥福をお祈りします。