久々に朝からガチの生理痛でした。
地獄の苦しみ。 前に何回か泡吹いて上向いたことあったので 焦った   久しぶりに星見えるほど激痛……。
文字通り暫くのたうち回って薬探すのも必死で  しかしやっと飲んでから効くまでの15分間が山 末端が冷えるし痙攣するし 耳ボー……ンンンてなるし
今日外でない方が良いのか?と考えましたが
薬飲んでその山越した後  憎たらしいぐらい痛みがピタッと止んだ。
しんどい。
ガチ。
暫くにこんな酷い痛み  予想外過ぎたので本当にどうしようかと思った  ルーミーは横で寝てるし
シャワー浴びて脱水気味で貧血起こしてたのもあると思うけど   今日気温32度もあったし
痛みの悶絶で汗だくになったので  止んだ痛みに横になりながらさっきシャワー浴びたのに……という敗北感



それでぼんやり今日思い直したのが   痛みや感覚って絶対的に会った人にしか分からないという事です。
最近よく ツイッターでもなんでも生理痛や性差や感覚の違いについてよく討論してるじゃないですか

でも明らかに理解や共感を求めるの  無理ですね
でも全部において必要なの   認知

私も貴方もお互い理解出来ないけど  それがある人と無い人がこの世には居る  
そういう意味の理解

共存てそういうもんだと思う。

そして運が良い事と悪い事。
病気になった人は運が悪いのか。欲しいものが手に入らなかったら運として負けなのか。
違う。

経験を学びに出来る事が恵まれている

何を与えられてもそうやって格付けやメンタルマウンティングしてしまう事が宝の持ち腐れ
ある意味運に負けている
与えられた事を全部ダメにしている
本質や真実に近付くための物質的な材料でしかない事に気付かない


そもそも人間の決めるこの世での運の良し悪しなんて薄っぺら過ぎる。
精神的に満たされない人が何をやっても結局素悪


豊かな人は人を豊かにする


得る人は得るものの価値を知っている


今運が良いと言われてる人達は 思ってる人達は絶対に自分に不運など来ないと思ってる。だけどそれは与えられてしまった人のカルマでもある。そこからもう一歩も動けない。
優越感の代わりにビジョンを奪われた。それは運が良い事?
何が不運かは分からない。何を与えられても、その後どんな風に越したか、そこにどんな波紋が出来たか、その通り道でなく、その後の副産物こそがその人の真実、 本当。


会ったことの無い不運は、見たことのないオバケみたいに見えるのかもしれない。だけど見たことのないものが、いつも自分にとって害とは限らない。そしてそれは、いつも常に自分の隣に存在している。遠い縁のない親戚では無い。
なったことのない痛みは、都市伝説では無い。

人間の営みの中で言う幸運不運のなんと小さな世界のことか。



学び続ける人がいつも尊い
作った謙虚さで無い    怖さを知っている。
脅威と認知を同期させている



そういう人こそ価値がある