週末 | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

こんにちは。

 

今日はお仕事が急遽お休みになり、明日に変更。

人員の増減によりたまにシフトチェンジになります。

 

仕事のつもりでいたから早めに動いていたので、午後はお暇になり・・・。

気晴らしと、お買い物を兼ねてフラリとお出かけしてきました。

ダイソーへリベンジです。(笑)

どれにしようとあっちウロウロこっちフラフラとお店を漂っているとあっという間に時間が経ちます。

こりゃとてもじゃないけどだーさんと一緒なんて無理ですね。(笑)

 

そんなだーさん、結局土日ともピリピリしていました。

色々と考える事が多くて落ち着かないそうです。

 

そういう時、だーさんはご飯を作ってくれます。

 

昨日はラーメンを作ってくれたのですが、それはそれでとても嬉しいし有難いのだけど、ため息をつきながらとか、だるいとか疲れたとか言いながらやるもんだから、私の方も気疲れしてしまいます。

 

発達凸凹の特徴に『急な予定変更が苦手』というのがあります。

 

土曜日に『観葉植物を買いに行きたい』って言っていたので、日曜日、私はいつでも出られるような状態にしておきました。

突然『今から行く』と言われもすぐに用意が出来ないから、もたもたしてピリつかれるのも嫌だなと思い、行く行かないは別として取り合えずいつでも出られるようにってくらいの感じだったんです。

 

出かけたは出かけたのですが、運転は乱暴だし、マナーの悪いドライバーに対して幅寄せしたり煽ったりと意地悪(本人的には義を正すための制裁らしい)したりで、助手席に乗っていても『二度と会わないんだからそんなのどーでもいいのに・・・』と気分がどんよりするばかり・・・。

 

おまけに、夜になってから

 

「今日はだるかったから行く気なくなっていたんだけど、ローザちゃんが用意してたから行きたいのかなと思って行った」

 

とか

 

「理解してくれているのはわかっているけど、予定が狂うと体がしんどくなるんだよね」

「俺、人に合わせてばかりで自分のことは後回しにしちゃうから」

 

とか言われまして~。

 

こういう事があるたびに、後回しにしなくていい、無理してやるならやらなくていいと言っているのに

 

「だって、そうやって育ってきたんだからしょうがないじゃん」

 

う~ん。

しょうがないで終わるんじゃ~それこそしょうがないですネ。

 

理解はしてますヨ。

けど、理解するのと何でも背負うのとは別。

そこまでおんぶに抱っこされたら私も潰れますがな~。

 

けど、これでも随分良くなってきたのだから◎なんですけどネ。

何でもかんでも私のせいにされていた頃(笑)から比べたら。

 

元々、人や物への依存度合いが高い人なので、私に依存出来ないとなると代替の何かで依存する可能性がないわけではないのです。

だーさんの言う『癒し』とは、ある意味において『依存対象』でもあるのです。

 

調子が落ちてくると依存傾向が強くなるので要注意。

 

って、そこまで心配したってそれこそ「しょうがない」のですけどネ。

 

でも、良くなって欲しいというか、自らストレスフルな生活を選択するのではないような生き方を見つけて欲しいんです。

その為にずっと見守ってきています。

 

う~ん。

希望は持ち続けていればいつか叶うものなのかな?

 

私の脳もちょっと停滞中かも知れません。