義母 | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

一人の夜はソワソワしてしまいます。
昼間やろうと思っていたこと、出来ません。

ブログ書いている暇があったらやれば良いのだろうけど、いろいろな気持ちが溢れるのは夜。

だーさんが亡くなり、久しぶりにだーさん母と会いましたが、やはりお付き合いは難しいかも知れないと思いました。

だーさん母は、不幸な自分、可愛そうな自分を哀れみ、彼を見ていないのです。

あなたは、彼を何処まで分かっていたのですか?
あなたは彼の何を知っているのですか?

彼の強さも弱さも知らない。
いつも彼をサンドバッグにして、彼も望んでサンドバッグになったけれど、どんな気持ちでいたのか、あなたは分かっていない。

どれだけ泣き崩れても、どれだけ彼に謝っても、泣き崩れる自分、謝る自分を哀れんで頂戴と言っているようにしか見えない。

どんな親でも親には違いない。
だーさんも決して見捨ててはいなかったのです。

だーさん母が入院した時は、お袋頼むねと言われていました。
毎日お見舞に行けなくてもずっと思っていました。
だから、私はだーさんの代わりを務めてきました。

なのに、私を捨てた、私なんか嫌われてると言い放っただーさん母を、私はどうしても許せなかったのです。

彼の辛さ、苦しみを理解しようともせず、自分のことばかりなだーさん母が許せなかったのです。

私の中で何かが弾けました。