★タイトルが間違っていたので、訂正しました。
私は僧侶ではないのですが、これまで生きて来て経験し学んだことを、もっと分かり易く教えてくれているのがお釈迦さまの教えだと実感していますので、今回の記事でその一端にふれてみようと思います。
http://kongo-web.sakura.ne.jp/ohanashi09-3.html
※一水四見と言う言葉、以前やり取りのあったヒーラーさんの使っていた表現を借りると、魂が若い(経験値が少ない)とか魂のステージが低いと言った伝え方をしていたと思いますが、私が感じたのはそれだけではなく、
★もの惜しみの心があったり、自分の言ったことを守らなかったり、重要な局面で耐え忍べなかったり、怠けたり、自分で気付けなかった落ち度を指摘されても自らを省みれなかったり、物ごとを判断する際に真理に照らし合わせず自分の感覚でしてしまっていると、いわゆる残念な人、関わり合いになりたくない人まっしぐらに邁進してしまうのでしょう
⇒何故なら、全てにおいて因果の道理を守り続けているのなら、悪因悪化にならないよう決して誤った方向には進まない筈ですし、結果や状況がそうでないとしたなら、何かが誤っていると言うことになりますからね
※同じこの世に住んでいながら、例えば親子でも母親と私とでは全く違う世界にでも住んでいるかのように話しが噛み合わず、私が5年とか10年前に話したことを母親がずっと後に気づく始末
⇒なので悪気のある無しに関わらず、そう言った積み重ねの足りない人や したことのない人、
☆逆に嫌なこと、悲しいこと、悔しかったことや嬉しかったこと有り難かったことの経験のある人たちとは、一見四水の例えのごとく異世界感覚なんだろうと感じますね🤔
☆まるでパラレルワールドに住んでいるかのように❗️