速度違反が片側一車線の2車線で対向すれ違いの場合その2台は事故を起こしにくくても、速度違反と一時停止違反が出会い頭、右折車と速度違反が接触、こういう場合は2台は事故を起こしやすい。視野と角度が比例的ではなく乗数的どころか、飛躍的に事故の確率を上げてしまう。クルマは縦方向にばかり連続しているからだ。


自転車🚲は体のまわりに鉄の箱なんてないし、自身のほうが車体より重たくて自動車🚙との事故はとても死にやすいためいつでも自動車🚙の違法行為には割りを食わされることになるが、鉄の箱に囲まれていたり車体のほうが重くて気が大きくなってしまったり、そういうときには自分は違反しても上手いからいいけど他人は違反するなら上手くなってからにしろよ、などと妙な論理を組み立てがちなんだろう。

速度違反で単位距離あたりの意識数が減るのはもうこれ、どんな形而上学的な成功体験を重ねていても絶対の事実なので、相手の違法行為と自分の違法行為をあわせたリスクを制せる上手さなんてのはこの世に存在しない。そんなことができたとしたらそれはたまたま運が良かっただけ。


道交法において違法行為するひと、するときってのは、違法行為しないひとより下手くそなんだよ。それはもう諦めとかないと。

たとえば車間距離の問題でいえば、自動車🚙は走行前にあらかじめ走行計画、どんな道を通るかなども決めて走ることで安全走行のための余裕ができるが、そこには車間距離が詰まるような時間帯や道は避けたい、というようなことも含まれる。もっといえば人口密度が大きい街ではなるべく自動車🚙に乗るべきでないということまで安全走行のためには考えなくてはならない。


東京に人口が集中しすぎだ、もっと地方に分散しろ、とか、中央集権主義に陥りすぎるな、もっと田舎に散れなどと私が言うのは既得権益や格差社会を崩したいルサンチマンからと言いたい都会人も多かろうが、ふつうに人口密度が大きい場所は安全が確保できないからという観点も割合多くあるんだがね。


制限速度より遅いクルマでも、助手席で離婚しろ走行中でもいまから降りるなどと言って、運転中の運転手をぽかぽか殴っているなどヒステリック起こしている配偶者が乗っているとか、めあての店に入る前だとか、正当な理由があるかもしれず、一応安全走行の範囲内なら多少円滑でなくても後続車が煽ることなく車間距離を取り続ける…たとえその後続車に煽られようとも…といった寛容を要する場合もある。前の車の運転手の体調が急変するとかね。前のクルマの中でどんな変化があったのか後続車は知る由もないはずだろう。また、制限速度をきちんと守って走っているひとにスピードを上げるよう軽率甘ですらいうことがあるみたいだが、それは単位あたりの意識数がひとによって時間によって異なることを無視した煽りというものである。



とにかくイライラしないことだ。

公道で殺気を出したら負けと識ること。

公道と私道とはルールが異なる。上手い下手の基準も異なる。


私がいま、バンク走行で 殴る 蹴る もがく をスキルとして覚えようとしているようなもので、公道には公道の、私道には私道の価値観があることをさすがに認めないと自業自得がお目見えするのはもう、仕方がない。






おはようございます🌞




今朝は晴れとるなぁ。