「私、アスペルガーなんです!」

 

ある生徒さんから打ち明けられました。

 

私の答え

 

「そうなんですね。どういうことが苦手ですか?」

 

 

そこからいろいろ詳しくお話を聞きました。

彼女が苦手なことや困ることは一通り分かりましたが、

私は彼女にレッスンしていて

特におかしいと思ったことも困ったこともなかったので

別段何も気になりませんでした。

 

 

そんな私の様子を見て、

彼女も

 

「聞いたらいけないのかも、みたいに気を遣われるより

先生みたいにはっきり聞いてくれる方が楽です!」

 

とおっしゃってました。

 

 

 

今まで体験も含めると何百人という生徒さん、お客様を見てきましたので、

中には発達障害の方や精神的な障害を抱えている方も

たくさんいました。

高校の教員時代や学研教室をしていた時にも

そういう子供たちをたっくさん見て結構深く関わってきました。

 

また、自分史のアメンバー限定記事に詳しく書いていますが、

身内の中にもまあまあ重い感じでいろいろいたので、

私はそういう「障害」そのものに関してはあまりなんとも思いません。

 

子供の時から一緒に育ってきたきょうだいが

そういう名のつくものを抱えるのを見てきた者としては、

果たしてどこまでが「障害」で

どこからが「性格」や「環境要因」なのか、

非常に曖昧なものだと思っています。

 

そして私自身だって、別に名前はつかないけれども、

こちらの記事にも書いたように

恋愛・家族関係こじらせ人間で、

他人とごく身近な距離で深く関わることが非常に苦手だったり、

お金に対するブロックがあったり…

生きにくさを感じることなんて山ほどあるわけです。

 

 

 

月並みな言葉ですが、本当に「障害」ではなく、

「その人」だと思うんですね。

 

ただ、「障害」と名がつくからには、その人自身が苦手に感じていて、

周りも多少理解しておく必要がある「何か」がそれぞれあるわけですから、

分かっている範囲で聞いておく、というだけです。

 

また自己申告されなくても気付いた場合、自分なりにその方に

最適なアドバイス方法を探るようにはしています。

それはもう、長い先生生活で当たり前にしてきたことです。

 

誰でもそうですが、特にそういう障害がある人の場合、

こちらの受け止め方や言い方一つで物事の理解度や感情が非常に大きく変わることが

多々あるので。

 

 

 

 

ただ、私は聖人君子ではないので、

「障害」という名がつくかどうか、では、態度を変えませんが、

「好きか嫌いか」では態度を変えますニヒヒ

 

その人が別に何らかの発達障害を抱えていようと

私がその人を好きであればお付き合いしますが、

名のつく障害がなかったとしても、

私はお付き合いしたくないな、と思われる性格をお持ちの方とは

できる限りお付き合いしないで済むように生きてまーすニヤニヤ

そこに「先生だからみんなに平等にしないと」という考えは捨てましたウインク

私と合わないならほかに合う人を探してもらえばいい。

お互いの健康と幸せのためにハート

そう思ってまーす音符

 

 

 

 

ポールダンス、一緒にやってみませんか?元高校教師がわかりやすく教えます。