昨年のお話で恐縮ですが12月中旬に、久々に映画「ラーゲリより愛を込めて」を観る。内容は第二次世界大戦終了後、約60万人の日本人がシベリアの強制収容所(ラーゲリ)に不当に抑留された。

  

映画のパンフと原作本    映画のポスター  数年前に読んだ原作本

                       「収容所から来た遺書」

 

あまりにも残酷な日々に誰もが絶望する状況下において、ただ一人、生きることへの希望を捨てなかった人物…それが主人公の山本幡男(やまもとはたお)である。

強制収容所(ラーゲリ)内で死んだ山本幡男の遺書が彼を慕う仲間たちの驚くべき方法によって厳しいソ連の監視をかいくぐって遺族に届けられた実話を描いた映画作品です。(詳しくは割愛します)・・・

 

  

抑留された軍人・軍属の移送状況 冬のラーゲリ(強制収容所)収容所の模型

 

丁度、その1年前、くらい前に新宿の「御苑近くの喫茶店コーヒー」で原作の逸見じゅん氏の「収容所から来た遺書」文春文庫の映画原作本本を読んでいたのです。

この本のあらましは

敗戦から12年目に遺族が手にした6通の遺書、ソ連軍に捕らわれ、酷寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男のその遺書は、彼を欽慕する仲間たちの驚くべき方法により厳しいソ連監視網をかい潜っものだった。悪名高き強制収容所(ラーゲリ)

に屈しなかった男たちのしたたかな知性と人芸性を発掘した大宅賞受賞の感動の傑作本です(解説・吉岡忍)…この本が原作で、まさかひらめき電球映画映画になるとは思わなかったですね…

私はこの本を読んでから、もっとシベリア抑留兵士を知るため、昨年4月に西新宿にある新宿住友ビル33階のビル平和記念展示資料館」を訪れました。

 

  

新宿駅西口    住友ビル33階にある「平和記念展示資料館」

 

  

作業用手袋と靴下   袖なしの防寒外套        説明パネル

 

説明パネル     飯ごう    手作りのスプーン食器   防寒作業着  

 

抑留兵士 

何としても生き残りたい、生きて再び妻子の顔を見るまでは食いたい

何でもよいから食いたい 食物の幻影がちらついた。

悪い環境の宿舎、飢えと寒さ、シラミ 不足する食糧の質と量

極限を通り越した待遇の中で毎日のように幾多の戦友が冷たくなっていった。

戦友が最後に「お母さん」と母親の名を呼んで息を引きとりました。

あの光景だけは…彼の顔だけは終生脳裏にあるでしょう。

 

食事の分配       説明パネル    飢えとの闘い(左、説明パネル)

 

引揚げ

線路づたいに四キロを、荷物を背負った上に子供を乗せ

両手に子供を引いて歩いた。

子供たちは、ダダをこねたりせず、よく頑張ってついてきてくれた。

岸壁に日の丸の船体を見た時、胸いっぱいの感激で涙がとどめなく流れました。

 

ソ連参戦による悲劇  漫画家の引揚体験を描いた作品(後に漫画家になった)  

 

  

▲      引揚戦の船底    引揚船の高砂丸  引揚港別引揚者概数

亡くなった赤ん坊の布おむつで

作つた子供用ワンピース

 

(平和記念館展示資料館引用)

 

本や、記念資料館で感動し、映画で再びよみがえり三度、感動しました。

この本や映画は実在の(ノンフィクション)物語です

ハバロフスの強制収容所で昭和29年8月25日に死去した山本幡男氏の

第七通目にあたる遺書が届けられたのは昭和62年の夏の日だそうです。

山本氏が世を去ってから実に33年目にだったそうです。

(収容所から来た遺書から抜粋)

舞鶴市「復元された桟橋」画像はお借りいたしました。

 

戦争を知らない若い人たちもぜひ、読んで(文庫本)、観て(映画)もらいたいと思いますね。機会がありましたら舞鶴市の「引揚記念館」に行ってみたいと思います

「岸壁の母」と歌で知られている桟橋は平成6年に復元されているようです。

    

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