剣術・居合道の剣の道にもある「表もあれば裏もある…光もあれば影もある…」
そんな歴史を紐解いて嘗ての繫栄した港町を訪ねる、きっと、その面影や痕跡が残つているかと思って一人のボッチ旅行です。
成田第二ターミナル展望台から カプセルホテル 室内は深夜で満席になる
成田発広島着の便が早朝のため、ネットで調べたら第二ターミナル隣接のカプセルホテル「ナインアワーズ」成田空港に宿泊、おかげで余裕の7:15のフライト広島行きに搭乗し約2時間後の午前9時10分には広島空港につき、空港借り、空港返しの軽自動車レンタを4日間借り切って出発です。
成田空港第三ターミナルから広島空港に8:45頃着 鞆の浦に10:30着(70㌔)
最初の訪問地は瀬戸内海のほぼ中央に位置し昔から「潮待ちで栄えた港町」鞆の浦
(とものうら)です。穏やかな海と島が織りなす景勝美や江戸時代から続く古い町並みは、どこか懐かしく新たな発見や感動が潜んでいるかもしれませんね~
では、あなた一緒に歩きましょう
パノラマ風に繋げてみました「鞆の浦港」 鞆の浦シンボルの▲常夜灯
鞆の浦(とものうら)と坂本竜馬マップ 竜馬の聖地「御船宿いろは」と言われる
(旧魚屋萬蔵宅)いろは丸談判の場所です
太田家住宅 鞆の津の商家(江戸末期)軒下に飾り物が・・・
瀬戸内海の新鮮な小魚料理を満喫 おススメの「お手び定食」一期一会のご夫婦
福禅寺対潮楼 この景観が素晴らしいと▲「日東第一形勝」と言われています。
(詳しくは割愛します)
瀬戸内海を舞台に源平合戦が繰り広げられた時代のお話です(1184~1185)
一の谷の合戦で敗れ、屋久島の戦いでも敗れた平氏、最後の戦い「壇ノ浦」の合戦で
滅亡してしまいます。この屋島~から壇ノ浦に逃れる道中は悲惨で足手まといになった女官たちは鞆の浦に棄てていかれてしまったという。生きるすべを持たない女官たち(宮廷に仕える女性)は身分の高い上臈から中臈・下臈とランクがありますが
最も身分の高い上臈(じょうろう)と呼ばれた女官も身体を売って生きるしかありませんでした。この言葉の上臈部屋(じょうろうへや)が転じて女郎部屋(じょろうへや)と言われる言葉ができたそうな?~(ネット情報)
汀邸 遠音近音 遊郭地の石碑 左側の木造三階建てが「妓楼」
(みぎわてい をちこち) 現在「ありそ楼」というギャラリー
元遊郭の建物が残つているので探し訪ね歩く…とその一つ遠音近音(前身は江戸時代創業の「籠藤」だそうです)遊郭跡の妓楼。玄関に入り撮影許可を取りました。
受付の方が玄関周りの一部は昔のままだそうですので、思わず梁のある玄関や歴史を感じる天井をパチパチ撮りました。玄関ロビーからオーシャンビューを臨み結ぶ渡り廊下、風情がありいいですね~因みに朝夕食付きでお値段は29,700円~40,400 円
のプランがあるそうです。内部は非常に良かったですよ
今は遠音近音のホテルになっていて玄関周り一部は昔のままです 渡り廊下
玄関前に祠が(合掌) 石段がある 波止を歩く 船番所跡の石碑があります
波止(はと)は1791年(寛政3年)完成だそうです。
台風などの強風や高波から船を守るために海中に設置された防波堤(波止)が
江戸時代に造られ石積の波止が今なお現存しています。
遊女たちと関連のある 睦稲荷神社(合掌)暫く静かな海の景観を眺め潮風をに耳を傾け遊女たちの囁き声が聞こえたように感じましたね~
睦稲荷神社 傍に海辺が見え綺麗な色を見せていました。 鞆の浦のポスター
鞆の浦の観光情報センターの方から教えていただいた睦稲荷神社の㊙の話と
帰り際、「どちらへこれから行くんですか?」「呉市に行くと答えたら」
国の重要文化財「阿伏兎観音(あぶとかんのん)」に寄って呉市に行けばよい
とアドバイスをいただき、こちらへ立ち寄ることにしました。
わずか3時間半の鞆の浦滞在時間でしたが、見どころいっぱいありましたが残念なことに歴史民俗資料館は展示入れ替えのため休館だったのです。(残念無念!)
では、次の阿伏兎観音経由~呉市に行きますよ~ 午後2時に出発です