広島駅近くのリバーサイドホテルのモーニングを食して、小雨の中、駐車場を出たのは午前8時頃でしょうか?広島自動車道~山陽高速自動車道を、ひたすら三時間半の時間をかけて軽自動車が100㌔から120㌔のスピードでトンネルの多い山陽自動車道を下関に向かい走り抜けます車DASH!…高速道路での激しい雨雨は初体験でしたびっくり

  

壇ノ浦古戦場跡で撮影   ホテルのモーニングはバイキングで軽く食する

  

高速道路での凄い雨   源義経の「八艘飛び」像   平知盛 「碇潜」像

(左手で流し撮り)

  

壇ノ浦古戦場址     安徳帝 御入水之処  幕末(蝦夷戦)天保製 長州砲

(みもすそ川公園)

 

小雨から急に激しい雨がフロントをたたきつけるような雨が降ってきた宮島入り口を通過したときはワイパーを全開にして、上り反対車線のトラックからは路面の水溜りの水しぶきがフロントガラスを容赦なく降り注いだ時は、前方が見えづらく運転しづらい時もありましたが、下関の壇ノ浦古戦場に着いたときはスッカリ雨が上がり曇り空になっていました。

ここで少し休憩の水分補給です。時間は午前11時を回って・・・11時30分

  

関門トンネルを走る車DASH! 和布刈公園第二展望だから門司港、下関遠景を観る

 

次に関門トンネルをくぐり門司側にある和布刈公園第二展望台にある壇ノ浦合戦

大壁画を観に行きます。この壁画は有田焼のレリーフ1400枚からなる高さ3㍍

長さ44㍍に及び、美しい有田焼の陶板で▼再現しています。

 

建礼門院の髪の毛を源氏方が熊手でかき寄せる場面      平家蟹(甲羅が怖いね)

 

次に源平壇ノ浦の合戦に敗れ、わずか8歳で関門海峡に入水された平清盛の孫である

安徳天皇を祀っている「赤間神社(あかまじんじゃ)」に向かいます。

通りを隔てた前の無料駐車場に止める。(ここは広くて助かりましたニコニコ

  

壇ノ浦を望む水天門は華やかな竜宮作造りで     安徳天皇御陵(お願い合掌)

国登録有形文化財「海の中にも都はある」という

二位の尼の願いを映したものであるといわれる。

  

平家一門の墓(お願い合掌) 「耳なし芳一」の木像お願い  赤間神宮境内案内図

 

平家一門のお墓に入りすぐ右側に耳なし芳一の木像祠がある、線香に火を付け、手を合わせたら「イキナリ琵琶の音が鳴り音譜」じゃじやーん音符

祇園精舎の鐘の音~諸行無常の響きあり~

と琵琶のひときわ高い音響と詩が流れた。センサーがあるのかな?

「びっくりしたな~もう~びっくり

 

  

5月3日の先帝祭 「上臈(じょうろう)」参拝 (画像はお借りいたしました)

 

先帝祭には五組の上臈が威儀を正して神前に参拝。花ブーケ1を手向ける。

振袖太夫(太夫=上臈、二番・三番、四番太夫と続き最後が傘留太夫)

それぞれ前から稚児、警固、官女、禿、上臈と並ぶ、壇ノ浦合戦でかろうじて生き延びた平家の女官は安徳天皇の命日には欠かさず御前に詣でたという・・・これが

上臈参拝の始まりであるという。

安徳天皇の御霊を守るため下関の地に踏みとどまり、生きるすべもなく草花を売り歩き、貧しい生活に明け暮れ、やがて自らの春をひさぎながら苦しさをしのぎ命の限り生きた女性たち(官女)、こういった切ない思いの中でも帝に威儀を正し参拝する

平家の美しさと強さを感じさせますね~安徳天皇の御霊に参拝お願い

下関の繁栄はこの先帝祭である・・・と言われるほどで、今では地域に目指した伝統文化となっています。「海の中にも都はある」境内の雰囲気がどこか?宮島、

厳島神社を模しているのでしょうか?神殿の両側に水が張られていました。

 

赤間神社に参拝を終え、駅構内の観光案内所に電話でいろいろ場所を聞こうと

しましたら、電話が通じなく、市役所の観光政策課に連絡し、いろいろパンフを含め

お話に上がり調べていただきました。(遊郭時代の面影を残す現存する建物の住所)です、この近辺に維新の風雲児、高杉晋作の足跡あしが結構ありました・・・

 

  

遊郭時代に現存する建物    隣接する新地地区   維新の史跡見て歩きコース

 

江戸時代、港町であった下関は当時、馬関と呼ばれ稲荷町遊郭(下関市赤間)が誕生

、当時揚屋32軒で、そこの遊女らが平家伝説と結びつき先帝祭にに参加、格式高い

遊郭として栄え、遊女はここでは上位につき他の遊郭では用いない足袋を履いていました。そういえば遊女とのお遊び代を花代というのは官女が舟入れに花を売った代金が由来かも?また一説には平家の女官たちが行き場をなくしこの地に辿り着いた遊女発祥の地ともいわれています。旧第一ホテル「大阪楼」の裏にある末廣稲荷神社は

「稲荷(いなり)」という地名の由来はこの神社からといわれてもいます・・・

この稲荷町(下関赤間)地区は時間の都合で廻れませんでしたが、再度、来る機会があれば末廣稲荷神社に参拝したいですね~きっと遊女たちの声なき声を聴けるかもしれませんうーん

 

  

日和山公園にある    高杉晋作終焉の地   厳島神社(平家一門の守護神)

高杉晋作 陶像     

慶応三年(1867)4月14日明治維新の直前に高杉晋作は新地の林算九郎宅で肺結核のため息を引き取りました。数え年29歳の若さでした。お願い(合掌)

 

 

下関商港         下関港国際ターミナルにある旅客船兼自動車渡船

                       「はまゆう」

下関港国際ターミナルにおじゃましました。釜山行きが多いのでしょうか

韓国の国にいるのかと思うほど・・・韓国の人が多いです。受付で話しかけたら日本語にはそっけない応対でした。(ハングル語で話さなければ話さないのかな~うーん

午後17:30過ぎになりましたのでホテルに戻ります。

  

 

ホテルに戻り夕食の店をいくつか紹介いただき駅構内の良心的な「居酒屋生ビール日本酒」で
この晩の夕食はビール焼き鳥 下関名物「ふぐ料理」 お酒は獺祭で最後は剣菱で締めた~カロリー控えめのつもりですが?ゲラゲラ(笑) 19:30~20:00

本日の走行距離は約240㌔車DASH!でした

明日は宮島~広島市に戻ります(続きます、よろしくね~バイバイニコニコ

    

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