自分にとっての3.11 | みちしるべ

みちしるべ

人は生まれによって尊からず

その行いによって尊し

かけた情は水に流せ

受けた情は石に刻め

右は極楽 左は地獄

心ひとつが道しるべ

流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」

http://otsuchinews.net/article/20130207/351

 

「東電は許せない。しかし…」 震災・原発事故から6年 福島の浜で

https://news.yahoo.co.jp/feature/534

 

【福島・大熊町】 帰ってきた汐凪さん。津波で流された娘を捜す2123日

https://daysjapan.net/2017/02/02/fukushima_yuunasan/

 

大切な人の命が失われた当事者の方々の心情は、想像しきれない。

だけど目をそらさず見つめていきたいと思う。

 

2011年3月11日という日が自分にとってどんな出来事だったか

6年経った今、どう捉えているのか振り返り自戒としていきたい。

 

その時まで人の役に立とう、社会の役に立とうと、生きてきたと思っていたし、そこそこの努力、そこそこの学歴、そこそこに仕事もできるようになって、そこそこにお金も稼げるようになり、狭い社会の中でいい気になっていた自分は冷や水を浴びせられた。

 

人が泣き叫んでいるとき、寒さに震えているとき、絶望しているとき、何ひとつ自らの力で解決できない無力。

それに向き合うだけの力も勇気もない自分自身への絶望。

 

人生を振り返ってみると、人に喜ばれていたのは誰かと誰かをつなげていたことばかりで自分にはない何かをもっている人と、その何かを求めている人をつなげていくその「つなげる」という行為は考えてみれば仕事はすべからくそうだったし、人に人を紹介する時もそうだった。

「つなげる」時、(がっかりされたらどうしよう)とか多少の勇気はいるものの人と人がつながった時のHappyなイメージの方が勝る。

 

サンタも同じで、子どもや親御さんの想いにつながってくれる人がつながれる機会をつくっているだけだけど、そのつながりからHappyが生まれていたように思えた。

 

誰かが何かを乗り越えて培ってきたことは、その人にとっていつかあたり前のことになっていくけど、その何かを乗り越えようとしている人には、その経験やアドバイスが光りとなることにふと気づいた。

 

よく今の子どもたちには夢がないというけど、むしろおとなの方が、夢がないように思う。

今、観ている現実の枠の中では夢を抱くことは難しいかもしれないけど、その枠を取っ払える可能性や、その先のHappyな夢へのヒントにつながれればと思う。

 

例えば、ノマドワークや、有機栽培、無農薬、無添加食品などを生業に、自家発電とか自給自足でき、経済的不安なく、自然を身近に豊かな感性を育むことができるような生活スタイルを望む人が増えてきている。

そのヒントは意外にもおじいちゃん、おばあちゃんが持っていたりする。

 

ひとりひとりの人生には必ず誰かの光りとなれることがあって、つなげるべく対象が見つかった時、はじめて光りを放つ。

 

あれから6年を経て、その出来事を経験した人たちの言葉からようやく光りが差し込み始めているように感じることもできるようになってきた。

当時、小学生だった女の子が今、高校生になって言っていたことが印象的で

「3日間、何も食べれない経験ができたから、白いご飯を食べれることがとても幸せなんだってことを思える。だから忘れてはいけないと思う。」

 

この経験が光りとなって、何を照らしていくのかはまだわからないけど、いつかその光りを必要とする誰かにつながりやすいような社会にしていきたい。

自分にとっての3.11は、人と人とがつながることで、闇夜から朝陽に変わっていくために必要なことを気づかせてくれた。

 

15893人の犠牲者、2562人の行方不明の方々、3523人の震災関連死とされた方々の命に恥じぬよう、これに学び活かしてゆきます。

 

合掌