食べたらう○こ | みちしるべ

みちしるべ

人は生まれによって尊からず

その行いによって尊し

かけた情は水に流せ

受けた情は石に刻め

右は極楽 左は地獄

心ひとつが道しるべ

愛知ボランティアセンター主催の追悼キャンドルにて哀悼を捧げることができた。

https://www.facebook.com/aichiborasen/?fref=ts


 

15893本の追悼キャンドルは東日本大震災でお亡くなりになった方々の数。

行方不明者2562人はここに含まれていないところに優しさを感じた。

 

キャンドルに火を灯すたび、吹く風が吹き消した。

数百人に及ぶであろう人々が、何度もキャンドルに火を灯している姿に心打たれた。

 

点けても点けても、一瞬の風で吹き消されるその様は、なんだか人生みたいだ。

何かにトライしそのたびに挫折を繰り返し、何度も灯は消え、また点ける。

誰かに灯を点けられるのと、自分で灯を点けるのはやはり違う。

 

トライしている時は、目の前のことしかみえないけど、立ち上がってまわりを見わたしてみると、同じようにトライしている人たちがたくさんいることに気づき、その美しさを知ることができる。

 

いけてよかった。

 

サンタに毎年参加してくれる長崎の梅本さんがチャリティイベントを主催していた。

大変なご苦労をされたお話しを伺ったことがあったけど、こうして自ら灯を点ける姿に感銘を受けた。

http://ameblo.jp/iruka0804/entry-12252653022.html

 

まわりを見渡してみると、多くの人たちが3.11に追悼を捧げられていたことを知った。

あの出来事は多くの人の人生観に何かしらの影響を与えた出来事だった。

 

食べたらう○こ、とは高額納税者、斉藤ひとりさんの言葉の抜粋。

ひとりさんの表現ではこんな感じだ。

「食べたらう○こがでるのはあたり前なんだよ。う○こをだすまいだすまいとしていたら、必然的に食べなくなるんだよ。稼いだらつかうの、税金を惜しまないの、商売人ってのは国をそうやって支えるの。」

 

金は天下のまわりものとか、風が吹けば桶屋が儲かるとか、遠回しな表現でなく好きだ。

ひとりさんはエロ本を買い物袋にひっさげながら握手会をするほどの人気者である。

 

ひとりさんは、商いのことを仰ってるわけだけど

商いというのは、ある有効な知識や体験を商品化し、商いになっているわけで

商いの前に必要な「知識と体験」にフォーカスする必要がある。

価値ある知識と体験が無ければ、商いは成立しない。

商いがなければ、国家は成立しない。

経済とは、経世済民、意味は「世をおさめ、民をすくう」、資本主義の基本的な考えだ。

何かおかしくなる時は、大体基本が疎かになった時だから「価値ある知識と体験」を見つめ直したい。

 

昨今迄の競争社会においては、価値ある知識や体験は「我がモノ」とした者が勝った。

1997年Googleの台頭によってインターネットが普及したことにより、価値ある知識と体験は容易く手に入れられるようになった。

 

新書だったら1冊1500円くらい、新聞だったら月2000円くらい、通信料は4000円くらい。

能動的か受動的かという違いがある。

 

新聞やTVはメディア各社が世の中から、作為的に抽出した情報を世に与えているのに対し、インターネットは「生の情報」を手に入れられる有効な手段となった。

しかしフェイスブックを代表するSNSは、作為的に利用されている一面があり、ネット依存は危険でもある。

 

重要なのは「リアル=現実」。

いくら良いことを発信していたとしても会ったこともない人が言っていることを妄信するのは片手落ちで、実体験に裏づけられる事が自分自身の価値となり得て、生きる糧となっていく。

 

もはや知識そのモノに価値はなく

「もし自分が~したら~になれる、~できる。」

と確信できる情報に価値があり、実体験を積み重ね実現していくことにより高い価値がある。

 

学校教育も評価基準が変わってきた。

「価値ある情報を取捨選択する思考力、実行・検証を繰り返し、価値創造できる能力」

 

うまくまとめられないけど情報が溢れた今、それに溺れることなく(摂るだけでなく)、取捨選択して実行する(う○こをだす)ことが、すごく大事なんだということを書きたくなった。

 

さんざんう○こと書いてきたが、幸せなら手を叩こう、が近いような気もする。

 

 

 

サンタのう○こ話しおわり。