セミナーや勉強会に参加して何かを学ぼうとする方は多いに違いない。
その姿勢は素晴らしい。
が、もしかすると参加するあなたは、そこに何か面白く興味深い話しを期待してはいないだろうか?
私は基本的に不特定多数の存じ上げない方々を対象に講演をするということは無いが、時々、何かの集まりで少し話しをして欲しいと頼まれることがある。
そういうときに、サービス精神旺盛な私は、なるべく面白い事を話さなければならないと考えてしまう。
それが投資の話しだろうがおっぱいの話しだろうが、人前で話しをするときには、なるべく興味を持ってもらえる面白い話しをしなければ意味がないというプレッシャーを感じてしまう。
しかしながら、最近感じる事は、真面目な投資の話しで、面白い話しなどそもそも存在しないんじゃないか?ということだ。
特に、真面目でアカデミックなひとがする経済や投資の話しは、とても有益だが退屈だ。
よりまともで有益な話しほど退屈だ。
そして、やっかいなのは、聞きに来る人たちの大半は、有益な話を聞きに来るのではなく、面白い話しを期待して来ているというところだ。
つまり、沢山集客ができ、しかもお金を払ってもらえるセミナーを開催しようと思えば、それなりの面白さが無ければならない。
池上彰さんのような、難しいことを分かりやすく面白く説明できるひとが、メディアで引っ張りだこになる理由はそこにある。
ただ、そこには大きな落とし穴が存在する。
投資に関しては、面白く興味深い話しはど、ほぼ聞く人にとって有益ではない。
退屈で面白くない話しが必ずしも有益であるとは限らないが、有益な話というものは殆ど退屈で難解だ。
もし、何かを勉強するにあたって、あなたの興味をそそる面白い話しを期待しているとすれば、それを期待するほどに、あなたがそこから得られるものは少なくなるのだ。
なので、もし何か自分にとって有益なことを学ぶために、誰かの話しを聞こうと思うのであれば、なるべく退屈で面白くない話しをする人の話を聞いたほうが良いだろう。
世の中に有益でかつ面白い話しというのが無いわけではないが、面白さというものがエンターテイメント的に演出された話しには、演出の意図が必ずあり、それなりの話術を魅力を兼ね備えたスピーカーが、自分にとって何のメリットもないことにその能力を発揮する理由がないからだ。
たぶんわたしの話しは、面白すぎて、有益さからほど遠い(笑)