英語の迷い道(その148)-波佐見焼と嬉野へ-「何故勉強は苦行なのか?」 | 流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴15年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な独り旅を継続中

先日、長崎県の波佐見焼の窯元を訪ねてきた。自宅の食器などで必要なものを買い揃えるためである。高速を使って2時間余り、ちょっとした小旅行となった。

 

家内に確認すると、前回から4年半ぶりくらいだったらしい。波佐見は観光施設や飲食店もかなり増えて少し賑やかになっていた。

 

 

前回、土日が休みのため行けなかった「白山陶器」で気に入ったものをいくつか見つけた。結局、「あれも欲しい、これも欲しい」となり結構買い込んでしまった。

 

帰り道、佐賀県嬉野の日帰り温泉に立ち寄った。ぬるっとした泉質で気持ちが良い。運転の疲れも少しとれた気がした。

 

帰途、高速道路から眺めた春の夕暮れがとてもきれいだった。「春宵一刻値千金」といった雰囲気である。

 

 

 

常日頃、「何か本を読もう」とか「何か勉強をしよう」という意欲はあるのだが、なかなか最初の一歩が踏み出せない。これは「読書」「勉強」が、楽しいものではなくある種の「苦行」として認識されるからだと思う。

 

若い頃から、もっと楽な気持ちで「読書」「勉強」に取り組めていたら、人生はどれくらい違っていたであろうか。そんなことを時々思う。

 

 

そんなことをテーマとした英作文の問題を見つけた。随分昔の東大の問題である。

 

(問題)

次の日本文の下線部を英語に訳せ。

 

私たちには、勉強はしんどいもの、今苦しくとも将来のためにがんばるものといった刻苦勉励型のイメージがしつこく残っています。考えてみれば、将来の幸福のために今苦しむという形でしか勉強を受け入れられないのは不幸なことなのです。私たちはただそれにならされてきただけではないでしょうか。

*野村庄吾『スコットランドの小さな学校』

(東京大学・1991年)

 

 

(拙・和文英訳)

We persistently have the image that studying is hard, and that we should do our best for the future even though it is hard now. But, when we think about this, it is unfortunate that we can only accept studying in the form of trying hard now for our happiness in the future. Haven’t we just got accustomed to doing such things?