英語の迷い道(その149)-黄砂の中で考えたこと | 流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴15年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な独り旅を継続中

昼食のついでに久しぶりに郊外まで車を走らせた。それにしても黄砂が酷い。遠くの山々まで霞んで見えた。黄砂がなければどんなにか穏やかな春の日だろうか、と恨めしい気持ちになる。

 

 

昼食を終えて農協系のスーパーに立ち寄った。入口付近にメダカなどの小魚が売られていた。何となく5尾入りのパックを買った。これで家の水槽が少し賑やかになる、と思うと小さな幸せを感じる。

 

 

スーパーで家内と買い物をしていて、いろんな人々の行動を見ていると少しづつ気分が晴れてきた。ここ数日、軽い「鬱」状態だった。何もやる気が起こらず寝てばかりいた。「春眠不覚暁」ではないがやたらに眠かった。

 

 

とどのつまり、人は皆、目の前の小さな目的のために行動している。その目的が自分のためのものであることもあれば、他人のためであることもある。そんな小さな目的を果たしていくことが「生きる」ことなのだ。あらためてそんなことを感じた。

 

 

近所に神社の祭りの幟が立ち始めた。「曽根の神幸祭」というものだ。暴風雨により未曾有の被害を受けた曽根新田の鎮守として、綿都美神社を造営し、五穀豊穣・風鎮汐留祈願の大祭を行ったことが始まりとされている。祭りは5月のGW中に行われるらしい。

 

思えば、昨年もこの祭りはあった。あっという間に一年が経っていた。時間は容赦なく過ぎてゆく。残り少ない時間。少しでも大切にしなければ。

 

 

頭の中の黄砂の嵐の中でそんなことを考えた。