日本人が西洋に憧れる理由 | ~毎日を天国モードにする!「引き寄せの法則」ブログ~

日本人が西洋に憧れる理由


アメリカの高校では生徒の人気度が元となるカースト制度があります。

グループは大きく分けて以下の様に人気度により分かれます。呼び名は決まっていませんが、白人社会ではどの学校も似たような世界が展開されている筈です。

グループA。別名美しい人達 -人生の勝ち組扱いされ、フットボールやバスケなどの主力選手や、チアリーダーからなります。美男美女の集まりで、アメリカンドラマなどで登場する様な人達が青春を謳歌しています。

グループB: グループAに入れないけど、それなりにイケていて、それなりに青春を謳歌している、2軍の様な人達です。

グループC: キリスト教などの宗教や音楽やオタクやガリ勉など、何かのサブカルチャーに属している人達。転校生で友達がいない人もここに属したりします。

グループD: カースト底辺で英語で言う”loser(敗者”のグループ。 主にアジア(インド、香港、日本、台湾、ベトナム)から中学校以降に移民して来て、ネイティブの人達の中に溶け込めない人達から構成されるグループ。中にはアメリカ人でも転校したての頃はここからスタートして、徐々に上に上がって行くケースが見られました。

これを書いている自分は小学校は殆どアメリカだった物の、中学校3年間は日本で通い、卒業後直ぐに15歳でアメリカの高校に通い始め、カースト内底辺のグループDからスタートしました。必然的に学校で仲良かったのは、ベトナムや香港やメキシコから移民して来た人達が中心で、グループAの人気メンバーから”loser(敗者)”と実際呼ばれました。

その当時は本当に毎日が地獄で、冬など早朝未だ暗い中スクールバス乗るの気が重い。お昼休みは校内のカフェテリアで華やかなグループAの勝者の白人グループを横目にベトナムや香港から移民して来た人達と一緒に座る。他人の目が気になり、片想いしてた人気グループの女子に見られた時、心がとてもぐさっと来ました。2年上の日本人女子生徒がいて、日本語で話しかけてくれたのですが、その人はいつも白人の友達達といて羨ましいな〜と思ってました。

とにかく当時のうちの学校は生徒の9割以上が白人で、華やかなグループAやBの人達も白人が中心だったので、「この高校で生き残るには白人社会に溶け込まなければ」と胸に誓った当時15歳の自分(今ではシアトル郊外はかなり人種が多様化され、生徒数の約半分がアジア人の所もあります)。

幸い元々小学校の時点で英語がネイティブだったのと、ヘビーメタル音楽に出逢い、メンタルが鉄の様に強くなったお陰で、2年生(うちの学校は4年生)の頃にはメタル系人間としてグループC迄上がり、白人のメタル仲間達と遊んでました。3年生後半にはグループBの人達から受け入れられ、友達グループの1員になり、そのまま卒業を迎えました。

大学生以降は、高校でバスケや野球で活躍したり、チアリーダーなどしていた、グループA(美しい人達)の人達がメインの友達となりました。

自分は幸運でしたが、底辺のグループDだった人達が上に這い上がる人達は殆ど見かけませんでした。うちの高校でも数人日本人がいましたが殆どはグループDのまま高校生活を終え、そのまま帰国子女枠で日本の大学を受験しました。高校カーストでは低めの位置でも、日本ではバイリンガル扱いになるので、受験や就職など何かと有利になるのでしょう。

中学校以降からベトナムや中国本土や香港から移民して来た人達も基本的にずっと移民のステータスを持ちながら、移民同士でアメリカに何十年暮らすと言うイメージです。

英語がネイティブの人達は中学校以降に渡米した外国人に対して余り興味持たないと言う傾向があります。自分の様に中学校卒業後に渡米すると、「おー、日本から来たのか。ようこそ!」と歓迎されると勝手に期待していましたが、グループAからCの人達は全く無関心という印象でした。ビジネスの世界では社交辞令的に歓迎されるのでしょうが、プライベートではネイティブの人達はネイティブ同士で付き合う物です。それは日本のシェアハウスでも同じで、イギリス、アメリカ、オーストラリアの人達同士で派閥が出来、中には欧州の人も混ざっている事があります(当方シェアハウス歴11年)。


もし年齢など関係無く、日本で生まれ育った人達がアメリカの高校に転校するとなると、肌感覚で98%は底辺のグループDからのスタートとなります。例外は野球のイチローや大谷選手や、バスケの冨永選手など、スポーツで現地でもずば抜けた活躍が出来る人達。又、スピリチュアル系で意識が平均日本人より高い人や、お笑い芸人やアイドルなど。


実際に自分がワシントン州立大学に通ってた際、日本各地の大学からの留学生を目にしましたが、皆高校で言うと底辺のグループDに属し、日本村が形成され、他のアジアから来た学生達と交流があり、卒業後帰国して行きました。中には日本の高校では人気者だった人達もいた事でしょう。


しかしもっと早い段階の小学校時代にアメリカに移住すると、最初は言語で苦労する物の、1年もすればネイティブスピーカーの輪の中に溶け込み、カーストの上の方に上がるケースは良くあります。


人種や言語などは関係無いのです。


問題は日本の中学校教育にあります。自分も日本の中学校に通ったのですが、毎朝刑務所に通う様な気分の中、着たく無い学ランを着て、先生達や先輩を恐れ、興味無い授業が開始する際に先生にお辞儀して「お願いします」と口を揃える。全体的にまるで自分を封印している雰囲気。


自分が通った中学校生活の雰囲気を、以下の引き寄せの法則で理由する感情のガイダンスシステムで言うと、最底辺22番の「恐れ」や「無力」に属していると断言出来ます。



学校自体が「恐れて無力」である場所だとすると、帰宅した後もずっと学校の事を考える事になるので、結果的に3年間ずっと「恐れと無力」の感情を活性化する事になります。


結果的に自分が中学を卒業した15歳の頃は、21番の「不安・罪悪感・価値がない」が感情の定位置となりました。


人間とはトラウマなど経験して、急激に感情の位置が下がっても本人は自覚しない物です。当日の自分もいつも不安を感じ、他人の目を怯えている状態が普通で、周りの皆もそうだと思っていました。


何故日本の中学とは感情的に底辺の位置に属する教育を提供するのか? 日本と言う国には未だ「無力」の文化が根付いているからです。


歴史的に江戸時代から敗戦後迄一般庶民とは幕府や憲兵などを恐れ(22番)、政府や幕府などの復讐(19番)辺りに属する人達が支配して来ました。


今日でも日本文化に「無力」がベースとなる風習が所々で見られます。例を幾つか挙げましょう:


街中でトラブルがあっても眉毛一つ動かさずそのまま通り過ぎる。自分の行くバスケコートで良く通行人がコートのど真ん中を通り過ぎるのですが、ボールが当たりそうになったり、当たっても無表情で何も言わずに通り過ぎて行く。アメリカなら何か言うか、最低でもボールや当てた人を見ます。


自己謙遜する。全ての人には無限の可能性を秘めていて、神その物なのに、「私は大した事無い」と否定する。有能であると言う事は罪である(21番罪悪感)と言うコンセプトから成り立ちます。


ビジネスの世界で深くお辞儀する。「無力な私が貴方に奉仕する」と言う雰囲気が伝わってきます。


電車やイベントなどで女性が男性の隣に座るのを避ける。これは感情的に「恐れ(22番)」から来る風習で、アメリカでは考えられない事です。


電車の中で景色を全く見ない。子供の頃は靴を脱ぎ椅子に乗っかり顔を窓に当てて外を楽しそうに眺めていたのに、いつしか興味無くなった。


他にも日中からカーテンを閉めて日光を完全にシャットアウトしたり、女性はある年齢を過ぎると脚が見えるショートパンツはNGであったり、西洋人から見ると寒さに繊細であったり、色々西洋と比べると低い感情がベースとなる風習が見られます。


感情ガイダンスシステムで言うと、21番から22番当たりがベースとなる風習が根付いていて、必然的に中学教育もその空気の中で行われます。


成長中の子供達が3年間その空気の中で過ごすと、普段の感情の位置が低下するのは自然な流れです。ヤンキーやアウトロー的な人達はそれでも17番〜18番の怒りや復讐をキープ出来る恵まれた人達。路上喫煙禁止の表示を無視して街中で平気で喫煙するなどはこの辺りに属しています。反骨精神(怒り、復讐)があるからルールに従わないのです。


しかし一般大衆はこれより低い位置に属す事になります。


ですから年齢に関わらず日本で中学校を1年でも体験した後に渡米すると、カーストでは最底辺のグループDからのスタートになるのです。


社会に出てる人の多くも、接客や上司や先輩との関係など、無力ベースな空気にいる事になるのです、何十年もその空気から這い上がれないので、グループDからのスタートとなります。


言語や文化や人種の問題では無く、感情の位置が違い過ぎるのでネイティブの社会に入り込め無い事になるのです。


日本の中学校教育は「無力」や「恐れ」がベースになっているのに対し、アメリカの場合はもっと高い位置の「9番悲観」が軸となります。


先生に対して:「夏休み明けで学校しんどいけど仕方ないから行くか。ハハハ」。


アメリカの会社生活も社会的な振る舞いも同じ。


上司に対して:「あの道路はどうせ又渋滞するんでしょうね。ww」


スターバックスなど行くと注文する際、「眠いからカフェイン強くしてね。今日はそんな日なんだよ。ハハハ」。


日本の店舗で店員さんにその様な発言すると、「はあ?」となるのは、文化的に感情の位置が違い過ぎるからです。


大学生時代にシアトルのデパートで仕事していたのですが、ある日、「今日は体調悪いので早退しようかな」と先輩に伝えたら、「どうせハッピーアワーの時間には元気になるんだろう。ハハハ」と言われました。この語尾の「ハハハ」と言うのは口調的にジョークを言ってる様なニュアンスなので入れました。


感情の位置とは個人個人で差があり、どの国でも1番(喜び・愛・感謝)から最底辺の22番(恐れ・無力)の人達はいますが、国としての平均値で言うと、西洋の国の方が数ランク上に位置します。日本の方が21番(不安、価値無し)に属す人の割合が西洋と比べて、圧倒的に多い。国毎の風習に関しても、日本は22番(恐れ)がベースの物が多いのに対して、西洋は数ランク上です。


だからこそ多くの日本人の人達は英語がネイティブな人を見ると、目を大きくして「すっご~い!」となるのです。 英語がネイティブと言う事は、感情的に上の世界の代表者として捉えられるので、芸能人を見るのと同じ下から目線から見つめるのです。


アメリカは自由の国と言われますが、日本から見ると感情の位置も「1番の自由」に近いので、高校も私服通学や授業中の飲食がオーケーなど、自由に感じる事だらけでしょう。


人種的な問題では無く感情的な問題です。自分は人種は日本人ですが、英語がネイティブなので他のアメリカ人と同様の視線で見られます。


又、感情レベルが上の方に属していると、アメリカ人から「同類」と見られるので、差別に合う事もありません。仮にあったとしても動揺しません。アメリカに20数年住みましたし、映画館やデパートなどで接客もしてましたが、一回も人種差別にあった事はありません。


ですので引き寄せの法則を実践してる者として、今の日本の無力ベースの教育を、もっと上の感情が基盤となる方法に改革するビジョンを持つ事にしました。


又現在と過去に無力ベースの教育を受け、そこの世界に残っている人達を、西洋と同じ土俵に立たせて上げたいです。


先述した通り感情のレベルが底辺のまま海外留学や移住しても憧れた華やかな海外ドラマの世界に入り込めません。しかし日本にいながらせめて9番の「悲観」迄上昇出来ると、人種問わず受け入れられます。そこまで行くと英語に関する抵抗力も無くなるので、すらすら覚える事が出来ます。