~毎日を天国モードにする!「引き寄せの法則」ブログ~



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【最新版】ソウルメイトを引き寄せる方法

 

浮気と不倫が発生する一番の理由は、元々パートナーが運命のソウルメイトでは無かったから。

 

でソウルメイトで無い方がパートナーとなると以下の様な事があります:

 

胸がぐらつく - パートナーと永遠の愛を誓った物の、世の中には他にも魅力的な人物は無限にいます。従ってパートナーがいるのにも関わらず胸がぐらつき、色んな誘惑に負けてしまう。

 

愛が色褪せて行く- 特に何かを頑張らずに得た物は、次第に失われて行きます。例えば若さは生まれつきの物なので、年齢と共に失われて行きます。

 

それと同じ様に、特に意図的に愛を引き寄せる事を頑張ったのでは無い中で愛が芽生えた場合、その愛も時間と共に失われて行く可能性があります。

 

特に年齢と共にお互いの魅力も失われて行くと、何か問題がある際に許しにくくなり、それが愛の減少に繋がって行き、新鮮な愛を求める様になります。

 

一般的に言うと、浮気する必要性を感じない様な正真正銘のソウルメイトを引き寄せるには、ある程度の準備が必要です。

 

いざ運命の人にあっても、心のぐらつきをどうするのか?

 

本当に長い人生をたった一人の人とだけで満足して過ごして行けるのか?

 

生涯後一人の人としか夜を共にしないのって、クレイジーじゃない? そんな事本当に出来るの?

 

答えはとても皮肉な事に、とにかく色んな出会いを経験する事なのです。

 

最近気付いたんです。

 

日本に来てから自分は色んな形で、それこそ星の数程の若い女性達と出会う機会に恵まれました。中にはプロポーズする人達もいれば、森ちゃんやサトシちゃんと呼んで親しんでくれる人達もいました。

 

街を歩いていても、ある女性達の事と思い出を、1日たりとも考えない事はありません。

 

街中の色んな場所で「桜」と書いた看板を

見る度に胸を痛める事もあります。

 

雨の日とかにZARDの隠れた名曲「遠い日のNostalgia 」の歌詞を聴きながら、強く共感してしまいます:

 

「あの日言えなかった言葉は今も、この胸の中に眠ってる。あの時もう少し、勇気を出せば、君を失わずにすんだかも。It's too late. 遠い日のNostalgia 」

 

笑いが止まらない程楽しい時も、本当に涙を流した時も、全ては有意義な体験で、実はソウルメイトに出会う旅路の中の重要な一章でありました。

 

貴重な人生経験や学びを得るだけで無く、何よりも数え切れない程の人達との出会う事が、ソウルメイトに出会う為の土台を作る事だったからです。

 

数百とか数千単位の人達と遊んだ事のあるロックミュージシャン達がこの様に言う事があります:

 

「もう愛のないセックスは嫌。本物の愛を求めたい。」

 

自分はその様なロックンロール的な遊び人ライフを経験していないですが、気持ちが凄く良く分かります。

 

例えば昔毎日コーヒーとお酒を飲んでいて、ある時から、「もう無くても十分エネルギーがあるし幸せ」と思い、それ以降は一切口にしない。

 

そしてそれは一生続いて行きます。

 

流れ的にソウルメイトで無い人達に関しても同じ。総合的に数百単位の色んな形の出会いを経験した後、もういいやと思える様になるんです!

 

言い換えますと、街中で魅力的だなと思う人を見たりしても、気持ちが全くぐらつかなくなるのです!

 

街中で昔良く飲んでた甘いモカやフラペチーノを飲んでいる人を見ても、自分の気持ちは全くぐらつきません。むしろ、その様な物を何故飲みたいと思う人がいるのか、不思議で仕方ありません。

 

なので男女関係に関しても同じで、数十とか数百の出会いを経験すると、突破口があります。

 

その突破口を超えると、もういいやというか、余り正真正銘のソウルメイトパートナー以外は興味無くなります。

 

今での人達が舞台のキャストだとすると、皆後ろに下がり、照明が暗くなり、見えなくなる。

 

そして舞台の表にスポットライトが当たる主役が登場する。

 

ソウルメイトを引き寄せる旅とは想像より遥かに壮大で、全体図が見えると、全ての詳細に意味があった事が明確になります。

 

朝目覚めと共に「今日は凄い物が来るぞ。もしかしたら今日が運命の出逢いの日かも」と思いながら、毎日が空回りに終わった数年間。

 

しかし実は全然空回りじゃなく、凄い物が来ると言う朝感じた気持ちも嘘では無かったのです。その日あった、ソウルメイトでは無い人達と過ごす時間が「凄い物」だったのです。

 

そして引き寄せの法則がその為の舞台を届けてくれていたのです。引き寄せの法則が自分を見離していると思った日々でも、実は最高の味方だったのです。

 

ですので願望を実現したくても現実は無情な程に変わらないと思っている時に言い聞かせる事: 

 

今いる場所で、今日体験して行く事は、自分にとって役に立っているのかどうか?

 

今日学べる事はあるのかどうか?

 

ソウルメイトを欲しいと切実に願っていると言う事は、まだ冒険の途中である事を意味します。欲しいと思っている時点で、まだ下から目線で夢を見ているのですから。

 

これを引き寄せの法則の先輩みたいな人に指摘された時はムカつきましたが、実際その通りです。その時のそんな自分にかける言葉は、「とにかく今日出来る事と、引き寄せられる範囲内の事を楽しもうよ。」

 

気持ち的に満たされ、「大満足」とか、「ワクワクする」と心から思えれば目的地に辿りついた事を意味します。

 

そこに着く迄、今日学べる事、体験出来る事を積み重ねる事により、ゆくゆくは何か起きなくても「本当に幸せ。夢が叶って来た」と心の中で明確に分かる事が出来ます。

 

そしてそのタイミングで色んな気付きもあります。例えばある漫画で、恋愛に関してリア充している人達が次々に処分されて行くストーリーを目にすると、「ヤベえ。じゃあ私も処分されてしまうと言う事?」そこで、まだ現実で何も発生していないのに、いつの間にか自分はリア充枠に入っている事に気付く。

 

又、街中で遭遇するカップルに関しても、それまでは「どうせ依存症組でしょう」とか、「全然引き寄せの法則を頑張って無いのに何でこんな簡単に付き合えるの?」などのネガティブな考えが湧いて来たのに対して、「おっ!君達も頑張ってね!」と思う様になっている自分がいる。

 

自分は週に何度か30分ランニングマシーンで走るのですが、最初の5分位が一番しんどいです。

 

中間地点の15分を過ぎた辺りから楽になり、むしろ楽しくなり、気持ち的に下り坂に変化します。

 

願望実現の冒険も同じ様な体験で、最初は色々しんどく、「今日も何も嬉しい事は無かった。街中の魅力的な人達は無関心。空っぽの気持ちで家に帰る。」など思っていた時期が好転して行き、手応えを感じてます。

 

引き寄せの法則を頑張る内に、次第に繁華街で綺麗な女性とすれ違うとこちらを見て来る事が1日数回あったり、ファミレスで隣の席にいる初恋位の年齢の人が獲物を狙うようかの目で凝視して来たり、近所を歩いていたら制服姿の女子が後ろから追いかけて来て、真後ろをピタリと歩いてくる(本当の話で何回か同じ様な話があります。)

 

その様な経験が増えて行くと、「今日はもうお腹いっぱい」と思えるし、自信につながって行きますし、全て引き寄せが上手く行っている証拠です。

 

更に気持ち的にどんどん楽しくなって行き、「今週はこんな物凄い変化があった!今人生で一番楽しみな事は、来週又瞑想した後にどの様な変化があり、どの様に現実も変わるのか楽しみでしょうがない!早く次の瞑想デーが来て欲しい!」

 

この様に感じれる様になると、願望実現の冒頭も当初の「しんどい。現実は頑固な程変わらない」と思う様な登り坂状態が好転し、下り坂に変化して行きます。

 

それと同時に全体図が把握出来、全ての体験が引き寄せの冒険の一環だったと実感出来ます。

 

夢の実現に向かって気持ちを高めて行くのと同時に、過去の傷を癒し、他に魅力的な人達が現れても、ぐらつかなくなる様な状態になれる様に自分も磨いているのです。

 

でもしソウルメイトを探している人から、「運命の人をどう引き寄せるのですか?」と聞かれると、「色んな引き寄せワークを繰り返すと同時に、ソウルメイトでは無い人と沢山交流する事」と答えます。

 

自分の経験上、引き寄せワークをしていると、そのソウルメイトでは無い人達との出逢いは、完璧なタイミングで、色んな人達が色んな形で現れます。

 

そしてソウルメイトに会っていなくても、十分満足な状態になれます。鳥肌立ったり、ドラマや歌の歌詞に登場する様な体験も遭遇するでしょう。

 

ソウルメイトじゃない人達が、ソウルメイトに会う為の近道です。そしてソウルメイトじゃない人達との交流と、引き寄せワークを並行して行う事が勝利の方程式です。

 

次第に本当にぐらつかなくなり、本当に確信が持てる様になります。その確信も初期の頃は脆いロウソクの人が、だんだんと灯台の明かりみたいに強化されて行きます。

 

そしてその確信の方が現実より重要になった時こそが本当の勝利です。

 

最低でも、「願望実現の旅は順調に進んでいる」と心から確信する時。「今いる場所に満足するのが、夢への1番の近道である」と自分は引き寄せの法則の先生(エイブラハム)から何度も教わりましたが、ようやくその言葉の意味が分かりました。

 

それと同様に、本当の先生は教えている側では無く、生徒の方こそが本当の先生であるとの言葉の意味も良く分かります。

トラウマくらいでビビってんじゃねーよ! ww

 

トラウマと引き寄せの法則その②

 

 

 

 

世の中が綺麗に見えるかどうかは全部人生における体験と、それに対しての感性がベースです。

 

例えば自分が中学生の時あった、クラス中がグルになり、嫌われていた女子一緒にと学級委員に選ばれた様なトラウマと思われる体験をすると、世の中は暗闇のどん底で生きる場所と思い、それがそのまま世の中を見るビジョンに変わります。

 

感情の位置が高い程世の中も綺麗に見るのですが、逆に感情の位置が下がると、世の中を綺麗に見る鮮明度も低下して行きます。一般的に子供の頃の方が、大人の頃よりも世界が綺麗に見えるのはその為です。

 

「トラウマと引き寄せの法則①」記事でトラウマとは、この中学での体験の様に、何か衝撃的にネガティブな事を体験する事により、感情の位置がエレベーターが急降下する様な現象であると書きました。

 

逆にトラウマと思われる体験があっても、感性的に大した事じゃないと思っていると、実際に長期的なダメージは無いので、トラウマではありません。

 

出来事自体がトラウマなのでは無く、それに対する感情的な反応が心の傷となるかどうかを左右するのです。理論上はどんなにショックな出来事も、考え方さえ変えればポジティブに捉える事が可能なので、トラウマになるとは限りません。

 

大した事無いと思う事はトラウマにはなりません。

 

しかし気分を低下させるトラウマとは不意打ちの様に、心の準備が出来ていないタイミングで突如襲いかかって来る物。

 

そしてその様な体験を繰り返して行く内に、感情の位置と感性の鮮明度が知らない内にどんどん失われて行くのです。

 

しかし全てのトラウマが一つのショッキングな出来事においての急降下とは限りません。

 

例えば12歳の子が色々と刑務所の様に厳しい日本の中学校に入学すると、第一日目の1時限を受けた途端に子供らしい無邪気さが消える訳ではありません。

 

数年間通う事により、段階的に徐々に顔も無表情になり、内向的になり、話し方も控え目になって行く。

 

この様な現象は一般的に言うトラウマ的出来事と比べ、時間はかかる物の、結果的には瞬時に起きるショックな出来事と同じインパクトがあるので、トラウマの部類に属します。

 

気付かない内に時間をかけたトラウマの引き金は他にもあります。

 

一番一般的なのは比較的自由であった学生から社会人に変わる事。

 

大きくの人達はそのタイミングでカフェインに日常的に摂取する事になります。

 

1部の栄養士によると、カフェインはドラッグであり、それを求める常用者は精神障害を抱えている様に扱われています。

 

医学的な事を簡単に説明すると、脳には元々眠気をもたらす物質を発するのですが、カフェインを摂取する事により、その物質を一時的にブロックし、それがエネルギーに繋がります。

 

しかしカフェインの効果が切れると、それまでブロックしていた眠気をもたらす物質が一気に押し寄せて来て、従って猛烈な疲労感や眠気が襲って来ます。

 

言い換えるとエネルギーの前借りの様な物で、長期的にはダメージしかありません。

 

仕事開始の朝飲んだカフェインが切れる午後には猛烈な疲れが襲うので、午後に又強烈なカフェインドリンクを摂取する。アメリカでは多くの学生や社会人が日常的にしている事です。自分もそうでした。

 

そして目覚めと共にエネルギーやモチベーションが低いので、カフェインに依存する。

 

仮に例えカフェインが健康や感性に害が無いとしても、毎回コーヒーやエネルギードリンクによってフェイク元気と幸福感を得る度に、本当の気分の向上の方法を学ぶ必要性を感じなくなってしまいます

 

カフェインやアルコールを摂取する必要性がある方は、心の中にある無限の幸せのエネルギーの泉について存じていないでしょう。

 

お酒にしてもカフェインにしても、一回飲んだら突然世の中が一気に色褪せて見えるのでは無く、段階的に年月をかけて感性が麻痺して行き、長期的にトラウマと同じ様な影響を及ぼしますので、立派なトラウマです。

 

毎回カフェインの効果が切れて気力が低下する時。毎朝二日酔いと共に目覚め、「今日は醜い気分で仕事どころか何もしたくない。それでも起きなければ」と思う時、何とか1日を乗り切るものの、鈍化された感性により、毎朝、毎晩、毎日、少しずつ世の中も醜く見える様になっていってるのです。

 

ある朝カフェインか二日酔いにより、気分が低下して、その低下した新しい感性と視点が新たなスタート地点となる。そして次の朝も又低下してもっと低いスタート地点に着く。そうやって年月かけてトラウマレベルまで低下して行くのです。

 

特に日本人は緑茶にカフェインが入ってると知らずに、子どもの頃から水代わりに飲む方が多いので、知らずにトラウマになっています。ちなみにカフェインは多くの炭酸飲料や、ダークチョコレートなど、色んな食品にも含まれています。

 

この様に衝撃的なトラウマ経験をしても気付かない事は一般的な事です。中には衝撃的なトラウマでさえも気付かない場合があります。

 

特に自覚出来る様な、何かショッキングな事を経験していなくても、トラウマが植え付けられたのかどうか? 生まれた後の最初の数年は、感情がかなり高い位置にあり、喜怒哀楽の色んな表情を見せていて、見知らぬ人にも平気で話せたのに対して、今は大きな地震が起きても無表情で眉毛一つ動かさない状態だとすると、それだけ感情のエレベーターを下がった事を意味します。

 

一体いつからそうなったのでしょうか?

 

例えば権力を利用して、立場の弱い者を一方的に叱る親や先生や上司や顧問や軍曹や監督も、長期間タイプのトラウマの原因となります。 冒頭で述べた様に、その人達自体がトラウマなのでは無く、その人達のに対する受け止め方がトラウマの原因となるのです。

 

そういった意味で、身体が小さく反論の出来ない子供を強く叱る親や先生なども虐待の一種です。良いか悪いかとかでは無く、結果的に長期的なトラウマが発生して、子供が大人しくなって行く原因となるのですから。

 

基本的に日本もアメリカも、世界の何処でも、みんな長期的か瞬時のどちらか、又は両方のトラウマを抱えています。

 

そういった意味で人生はリハビリです。

 

元々苦しみ抜いた末に底から新しい自分を開拓して行こうと決めた上で生まれて来たのですから、トラウマも夢への冒険のきっかけとスタート地点に過ぎません。

 

トラウマをそのままにしていると、引き寄せる事も荒くなります。例えば小学生の頃自分は心の中でアメリカの日本人学校でも現地校でも、クラスの女子に対して攻撃的な態度を取り、色々と問題が発生しました。

 

その様な状態を引きづり、大人になっても女性関係でどん底に陥って事がきっかけで、本気で引き寄せの法則に目覚めました。

 

それがきっかけとなり、人生とはやりたい仕事も場所も全部引き寄せる物であり、それを人々に伝える事が本当にしたい事と言う意思が生まれました

 

不思議な事に、トラウマと人生の役割の様な物は全部繋がっています。

 

だからこそ親がヒステリーを起こす様なショッキングな出来事を引き寄せたとしても、全体像が分かると、結果的に良かったと思える様になります。

 

むしろあのトラウマが無ければ今頃どうなっていたのか?今の自分みたいに人前に立つ際、人々はまるで神様を見るかの様に目を輝かせたり、ニコニコした目で凝視される様な存在とは別の自分であったでしょう。

 

トラウマが起こるタイミングも度合も、実は全て完璧に出来ているのです。

 

だからこそ「バーロー!トラウマぐらいでビビってんじゃねーよ!」www

 

冒頭で述べた通り、トラウマとは感情が単純に極めて低い位置に落ちた事を意味します。だとすると、ただ単に感情を上げればいいだけの話であって、このトラウマはキツすぎるから感情を上げるのは不可能なんて事は存在しません。

 

自分も日本で中学に通い、いじめやら何やら上下関係が厳しい部活など色々経験しましたが、引き寄せの法則を意識しなくても、その後2年もすれば治りましたし、同じ様に開花して行く人達をこれまで沢山見て来ました。

 

先述した自分の抱えていたもっと深い傷で、女性恐怖症になり、女の人の目を見るのが怖くなる様な子供時代のトラウマも、年月をかけて引き寄せの法則の勉強と実践がリハビリとなり、クラスの人気者女子からプロポーズを受ける程に成長出来ました。

 

トラウマが植え付けられたタイミングが短期であろうが長期であろうが、多くの人々が克服しないまま年月を過ごしている理由は、性について罪悪感を抱えていたり、有効的に利用していないからです。

 

罪悪感とは感情の中でも一番低い位置にあるのですが、もし性について希望やポジティブな期待や感謝の気持ちを持ったらどうでしょう?

 

スピリチュアルな世界では、天使やらヒーラーやらのエネルギーのビームを受ければ癒されると信じられていますが、オーガニズムこそがまさにその魔法のレザー光線そのものです。

 

性のエネルギーには人間を何度も何度も生まれ変わらせ、どんなトラウマでも癒せる神秘的な力が秘められています。

 

自分個人の体験で言うと、天使やらのレザービームを気持ち良いと思った事は一度もありません。ww 

 

同様に女性の方がレイキとかのセッション中に喘ぐ事は無いでしょう。

 

性的な快感こそが全ての癒しが存在する、天国の入り口です。そしてその天国の王国の中の体験した事の無いような、深い世界に入り込むと、人は変わります。

 

先述した、カフェインやアルコール摂取をすると、感性と鮮明度が下がり、新しい低いスタート地点が設定され、次の日はもっと下がるの繰り返しと述べましたが、衝撃的な性的な体験はその真逆です。

 

感性と鮮明度が上がり、新しい高いスタート地点が確立され、次に行為をした場合は更に上がるの過程を繰り返して行く内に年月をかけ、リハビリは進行して行きます。

 

キリスト教の人はイエスこそ神であり、救いであり、全ての力であると語られていますが、引き寄せの法則においては、オーガニズムこそが神であり、救いであり、新たな王国の扉です。

 

色んな瞑想や性的体験に置いての絶頂を身体中で感じ取る事により、自分が天国になり、トラウマによって下げられたエレベーターも又上に上がって行き、見た事無いような頂上の景色が待っています。

 

芝生は緑で、空は青い、晴れた5月の様な新しい季節が待っています。

 

人生は色々あるけど、どんなに苦しくても無限の快感は直ぐ目の前にあります。上に上がるエレベーターがドアを開けて待っているのです。

 

気持ち良くなって幸せになれると言う仕組みに宇宙の無限の愛を感じます。

性欲と引き寄せの法則

 

 

 

性欲は人を自由にします。

 

人間には五感あると言われているが、第六感が直感で第七感が性欲。

 

そしてその性欲は幸せな人生への一番の近道。

 

歴史的にネガティヴなリーダー達が人類が天国を知ると、色々不味くなるので、罪扱いされて来ました。

 

しかし性欲はどんな悩みからも心を回復させて、飛躍させてくれる天国への翼の様な物。

 

性欲があれば、科学的に色々不可能と思われている事もあっさり可能となる。色んな奇跡と言われている事を引き寄せる事が可能となります。

 

例えば世の中が見える鮮明度を1から100,000の数字に例えるとします。100,000なら世界がマックス美しく見えるとして、1ならば醜く黒く汚染された世の中に見えるとします。人間は生涯の間、お酒、カフェインや色んなストレスなどが原因となり、この鮮明度が徐々に低下して行きます。

 

例えば毎晩の様にお酒を飲む人がいるとして、その都度鮮明度ポイントが1.5減るとすると、1.5 X 365で1年で547ポイント。 生涯50年続くと、547 X 50で27,375ポイント減るとします。鮮明度は一般的に一晩で一気に減るのでは無く、徐々に減って行くので、余り気付く事は無いでしょう。まるで靴の底が知らない間に薄くなるのと同じ様な感覚です。

 

しかし感覚がずば抜けて鮮明だった子供の頃と比べると、どれだけ下がったのか明白になります。 電車とか商店街の匂いとか、ちょっとした事がとても刺激だった幼少期と比べて、今はどうでしょうか?

 

逆に言うと、年月をかけて例えば25,000鮮明ポイント迄下がっても、まだちゃんと生きていて、花とかも綺麗に見えるのは凄い事では無いでしょうか?

 

公園のベンチに座り、ビールを飲みタバコ吸いながら桜を見ているお爺さんを見ると、鮮明度ポイントはかなり低いんだろうな〜と思います。「へ〜。そんな鮮明度でも桜が綺麗に見えるんだ。と言うか桜を見たいと思うんだ」と不思議に思う。

 

しかし生きていて、目が覚めている限りは何かを見ているわけであって、例えば何も無いグレーの壁と、桜を見るのではどちらは魅力的なのか?そうやって鮮明度が低い状態でも、「どちらが良いか?」と本能的に比べながら、「桜の方が綺麗。桜を見たい」と判断するのでしょう。

 

食事をする際、その時の状態によって味は全く変わります。一番良い状態は、間食せず、運動して、砂糖は数日前から摂取しない場合だとします。それに対して間食をして、全く運動せず、砂糖を摂取した状態だと、味覚は極端に低下しています。しかしそれでも度合いは遥かに違う物の「美味しい」と思う。鮮明度ポイントも極端に低下しても、それでも「桜」が綺麗だと思うのも同じ様な現象です。

 

しかし性欲は生きている限り不滅の太陽の灯りの様で、夜が明ける時、窓の外が少しずつ明るくなる様に暗闇を眩しくしてくれます。人も景色も眩しく見えます。

 

性欲という第七感を通して、他の六感も全て鮮明になって来ます。 「この感覚子供頃以来だ!嬉しい!」と思える瞬間がどんどん増えて来ます。

 

性欲は人生という名の荒波の中、時には救命ボートであり、時には絶頂を味わえるサーフボードやジェットスキーであり、色んな体験を繰り返して行く内に、豪華客船のスイートルームの旅へ案内してくれます。

 

自らの無限の光なのです。

 

自分も子供の頃のトラウマ体験が原因で、鮮明度ポイントはかなり低かったですが、中学生の頃エロ雑誌とかが周りで流行り出しても、良さがイマイチ分かりませんでした。しかし理性的に「皆んなが凄い興奮してるから良いのだろう」と言い聞かせていましたが、性欲があるから何度も何度も生まれ変わる事が出来ました。毎週世界が変わって見えるんです!

 

医学的にも科学的にも現時点でこの様な研究はされていないので、鮮明度を上げる方法なども研究はされておりません。

 

しかし性欲があれば死んでた感覚が元に戻るだけでは無く、子供の時を超える鮮明度を体験する事が出来ます。更に鮮明度が増えると、その後の性的な体感においても感性が繊細になり、より深く、神秘的になって行きます。

 

物凄いオーガニズムをずっと体験する事を瞑想だとします。

 

普通の目を閉じて心を無にするタイプの瞑想は正しく実践すれば映画に例えると白黒作品の様。それだけでも充実人生を変える程の効果があります。

 

それに対してオーガニズムを瞑想だとすると、カラーである事はもちろんのこと、最新の技術を駆使した、3Dや4D映画の様な無限の立体感と鮮明度を体感出来、それが自分の新たな世の中を見る視野となります。

 

だからこそ性欲とは人を自由にします。

 

性欲を通して、あんなに悩んでいた問題がチャンスになる。

 

周りの人達に対し思っていた色んなネガティヴな考えも、性欲を通してどうでも良くなってくる。視野に入らなくなる。

 

つい先週迄は、周りの日本人達は何故こんなに無表情なんだろう。アメリカではコロナ禍はもう2年前には終わっているのに、日本では何故まだこんなにマスクする人が多いの?顔パンツって言葉寒気がすると思っていた物の、今週からは余り細かい事は気になら無くなりました。

 

今までよりも大きな声で話せ、ダムが崩壊したかの様に自己表現出来る様になる。

 

敵を愛せる様になる。余り良いと思わなかった曲が神曲に変化する。平凡だと思った街並みが天国に見える様になる。ちょっとした香りに鳥肌が立つ様になる。周りに魅力的な人がいるだけで、身体が反応してしまう。身体全部が性感帯に変化して、感度がどんどん増えてくる。

 

第七感である性欲を上手く利用する事により、他の六感が蘇り、どんどん鋭くなって行きます。

 

引き寄せの法則的に考えると、当たり前の事です。68秒新たな感情を感じると、それが胸に刻印され、新たな信念と世界観と引き寄せの起点に生まれ変わる。

 

性欲を通して今まで体感した事ない様な絶頂の世界を68秒どころじゃ無く、5分も10分も20分も30分も身体中で感じたのなら。

 

心の中の頂点と言う新しい世界に連れてって貰えます。そしてそのまま新しい世界と現実が開拓されて行くのです。

 

普段の表情が険しかったり無表情なのが、何もしなくても自然の笑顔が出る状態に化ける事が出来る。

 

性欲は自由にしてくれます。

 

性欲を効果的に利用すれば、楽しい事は一つや二つで、辛い事は8個の様な冬状態の人生を、楽しい事は8個で辛い事は一つや二つの様な、春の状態へ逆転させる事が出来ます。

 

今後の人生が想像を絶する程素晴らくなれる事をご存知ですか?

集団社会と引き寄せの法則

世の中には日本など集団主義から成り立つ国と、アメリカなどの個人主義の国があります。

 

引き寄せの法則的に見ると、個人主義と集団主義では、どちらの方が感情の位置が高いのか?言い換えると、どちらの方が幸福感が高いのでしょうか?

 

個人の感情を優先させる個人主義の方が幸せになれます。

 

例えば、ダンスのチームがあるとして、一人だけずば抜けて能力が高い人がいるとします。しかし、自分のその高いダンス能力を披露する事により、他のメンバーが妬んだりする為、みんなに合わせる為あえて本来の能力を披露出来ず、控え目に踊る。

 

又はチーム内でお弁当を注文する際、自分はサーモンを無性に食べたいけど、周りはチキンなどで、皆に合わせる為あえて妥協する。これが個人主義のアメリカ人なら、「他の人はどうでもいい!私はサーモンが食べたいからサーモンにする」となります。

 

コロナ禍最後の方で、もうマスクはいらないけど、みんなしているから苦しいけど着けるような同調圧力も良い例です。

 

自分の本来の欲や願望を抑えて、感情の位置が違う他人に合わせる事は苦しみに繋がります。

 

感情の位置がより高い人が、より低い人に合わせる事は苦しみとなり、共倒れに繋がります。

 

自己主張出来ない事とは、心の中を鉄の塀でブロックする様な苦しみをもたらします。

 

自由である事が人間の本来の姿ですので、集団社会の中で苦しみながら他人に合わせる事は引き寄せの法則の概念に反します。

 

それだけではありません。

 

集団主義において教育や風習により、皆が同じ考えを持ち、皆に合わせる事により、思考も感情の位置も均一化されてしまいます。

 

人間は皆それぞれモンスターの様な無限の可能性と個性を秘めているのですが、皆を均一化させる集団主義により、怪物が心の中の檻に閉じ込められたままの状態になります。

 

幸せとは自己の個性を全開にする事。

 

歌を歌う時、皆に合わせる為あえて小さな声で歌うのと、思いっきり好きなだけ大きな声で歌うのとでは、どちらが幸せになれるのでしょうか?

 

日本ではまるで小声で歌うかの様に、社会的に設定された恐れベースの低めの感情の位置に皆が入り込むので、個性を封印した人達による集団社会が構成されるのです。だから目付きや口調も統一化される。

 

日本人達の目付きや話し方だけでも個性が奪われている事が分かります。

 

話し方は世代別に変化はあるものの、世代毎には同じ様な口調で話します。例えば高校生ならほぼ皆「高校生らしい」アクセントで「やばい」とか「ガチ」の様な同じ単語を、どこの電車でも街でも利用しながら会話します(少なくとも首都圏では)。

 

コロナ禍で皆マスクしていると目だけしか見えない為、目付きも共通しているのが分かります。例えば街中にいる女子学生の目を見ると、「嫌な事に耐えて、言われた事をちゃんとこなし、しっかりしなきゃ」見たいな顔をしている。悪く言うと、皆んなコピペされた様な雰囲気。

 

心の内部の状態が目付きや話し方に現れるのです。集団主義だと、集団主義が目や声に現れるのです。

 

それに対してアメリカの様な個人主義の国では、同じネイティブ英語スピーカーでも、個人個人アクセントが違います。怒って様に早口で話す人もいれば、ビーチで寛いでいるかの様なゆったりした口調で話す人もいます。

 

瞳も鷲見たいに鋭い人もいれば、暖かい太陽の光を満喫した様なリラックスした目の人や、不思議そうな表情をした人やら無限のパターンが見られます。

 

更には、集団主義国において、お互いが助け合う主義の為、仕事が無くとも家族が助けてくれる。アメリカでは学生時代を過ぎると、独立するのが普通ですが、日本ならいつまで経っても実家に住んでも大丈夫。

 

アメリカの様な国において、困った時家族が助けてくれない事により、自らが解決策を探す事になり、自身の成長を促します。

 

引き寄せの法則を(意識無くても)利用し、色々な想像を絶する解決策を引き寄せる冒険を体験する事が出来ます。

 

それに対して、仕事が無ければずっと実家に転がり込んで良い日本だと、その自己の引き寄せの法則を利用して成長して行く冒険も封印してしまう事になります。

 

これも本当は助けているのに、共倒れに繋がっています。

 

更に集団主義国の特長として、細かい事に注意を払う所があります。例えば社会人の中で、取引先の人物のシャツにシワがあるかどうか気にする人がいる。西洋人は大雑把なのでシワ一つで人間を判断する人はまずいません

 

又、冷蔵庫とか購入する際に、「このボタンは何するのか」とか、西洋人なら気にしない様な質問をする。これは自分がアメリカの大手デパートで販売員をしてた際良く経験した事で、アジア人の客は本当に細かい質問を沢山して来るので、他のアメリカ人の店員達からも厄介者扱いされてました。

 

アジア人風の夫婦が来店すると店員達が、「おい、さっきは俺がアジア人の接客したから、今度はお前の番だ」見たいなやり取りを良くしてました。

 

この様になぜ集団主義の国の人達は細かい事を気にするのかと言うと、引き寄せの法則において感情の位置が低ければ低い程、細かい詳細がが気になるからです。

 

例えば白髪で悩んでいる際、感情が低位置だと、「どこに何が何色で生えているか」良くみえて、良く見る必要性を感じます。

 

それに対して感情の位置が高くなると、見る必要性を感じ無くなり、見たくても見えなくなり、そうやって問題が解決して行きす。

 

問題解決の場合は、感情が上がるにつれて問題に関する細かい事が見えなくなりますが、普段の生活において得る事は全て今後の人生においてずっと役に立ちます。

 

日本人が細かい事に注意を払う事に関しても同じです。日本特有の細かい事にこだわる技術があるからこそ、精密で長持ちする自動車や電化品や医療技術が世界中で受け入れられる様になりました。

 

要は全ての感情の位置に意味があります。ロールプレイゲームの様にレベル1の段階で得たアイテムや知識や技術が、ずっとクリアするまで使えるかの様に、無駄な物はありません。

 

他にも最近自分は北欧の叙情デスメタルを良く聴くのですが、そのような音楽は怒りに溢れてネガティブだと思われるかもしれません。しかし15歳の時出会ったメタル音楽から得た物は高校生の時学校で敗者枠にいた嫌な現実に反抗する反骨精神です。

 

そのような嫌な現実と感情に立ち向かって行く精神は今も生きています。引き寄せの法則を利用して感情を上げて行こうと、デスメタルの反骨精神と共に生きています。

 

だからこそ人生の旅路で得たアイテムは生涯役に立ちます。

 

そうやって考えると、街中の人々が皆同じ口調と目付きだとしても、「なんでこうなんだ」と嘆かず、「全ての事に意義がある。このような状態から得れる貴重な物がある。」

 

それに他の国の人達と比べて、精神が圧迫された辛い経験をする事により、引き寄せの法則はその他の国の人達は経験しないようなもっと豊かな人生経験を用意してくれます。もっと自由になりたい。もっと自己表現したい。もっと踊りたい。叫びたい。これまでずっと封印されていたモンスターが顔を出す時、今まで圧迫されたからこそ、光の望む気持ちは高くなり、光はもっと眩しく見え、光を感謝する事が出来ます。

 

モンスターの卵だらけの日本。

 

従って世界は癒されていてると認識しながら街を歩く事が出来ます

 

今後自分が仕事において頑張っていきたい事は、無表情の瞳の奥に隠されたモンスターを起こして行く事です。

 

去年は未だで一番成功しました。4月時点では大人しいお人形さん見たいな人達が化けて行き個性を開花されると、教室に入る度強いボスみたいな人達が増えて、講師である自分が押され気味になってしまう(汗)。

 

まあでも前学期最後の授業で、2名の女子生徒に教室の前に立って、10分位議論を引率して貰った際、10分どころじゃなくてそのまま1時間以上ディスカッションをリードしてた姿を見た時は驚いたし、感動しました。

生まれて来たり理由

人生を季節に例えると、天国から来た直後で、世の中が綺麗に見えて、溢れるばかりの期待感や好奇心と共に生きる赤ちゃんの頃を真夏だとします。

その後責ただ起きてご飯食べて、寝て、遊んだりする、特に責任感は無い物の、叱られたり、嫌な事も経験する事のある幼少期はポカポカ太陽が明るい5月末期だとします。

春だけど朝夜は寒かったりする中高時期は3月と4月だとします。ただし環境や条件によっては中学校が真冬のどん底である場合もあり、それでも高校になると少し緩和され、春が戻って来る事もあります。

しかし学生時代の終わり頃、色々楽しいけど、論文を書いたり、就活があり、自由だった学生時代の終わりを感じ、冬の訪れを感じる時期を秋の終わりだとします。

その後一般的に人間は、長い冬に入ります。

人生とは幸せになる事が当たり前で、標準装備だとすると、仕事やら人間関係やら健康などに、苦しみ、向き合いながら生きて行く日々。毎日目覚めと同時に「仕事は楽しみじゃないけど行かねば」と思ったり、「また1日か」と特にテンションが高く無、要は重さを抱えながら、這いあがろうとして生きていく時期を冬だとします。

同じ冬でも色々落差があり、気温がマイナスの様な真冬マックスの冬もあれば、2月中旬の様な、寒いけどたまに運良く暖かい日がある(仕事はキツイけど、週末や何かイベントがある時は楽しい)など、個人差はありますが、冬である事には変わりません。

とても不思議な事で、人類とは人生が慢性的に冬であると思う人が大変で、「様々な苦しみを体験する」事が当たり前と思うのが一般的です。

人生を冬にさせる要因は主に以下の様な物:

-嫌な事によるストレス。
-仕事
-人間関係
-健康
-感情を低下させる飲食物(パン、麺など小麦粉類、アルコール、カフェイン、砂糖が多いスイーツ、化学調味料、果糖ブドウ糖液糖など)
-マスク着用で気分の低下

そして何よりも大きな要因は子供の頃から大人達から、人生とは辛い子に耐えて行くと教えられ、それが現実だと信じ込む事です。

自分個人も子供の頃から父親は仕事は楽しく無いが、家族の為に汗水流しながら頑張ってると教えられ、自分も大人になればそうなると信じ込み、実際に遊びと比べると楽しく無い仕事をこなす様な冬の日々をずっと過ごして来ました。

余りに冬に浸かり過ぎて、引き寄せの法則の先生が、「人生は楽しくあるべき」との言葉を頭の中で理解した物の、余りピンと来ませんでした。

冬とは春が来ると言う事が前提であるのですが、人生をずっと春夏に変える為には、何もせずには大きな変化は起こりません。引き寄せの法則を通して、感情を上げて行く事が必要です。心の季節の変化は待つ物では無く、自分で意図的に変える事が必要なのです。

大半の人々はこの事に気付いてないので、幼少期の春が終了すると同時に、生涯冬の状態で過ごします。時には恋愛をしたり、クリスマスが来たり、実際に季節が暖かくなり、気持が高揚する時期もあるでしょうが、自ら内面をパワーアップせず、自然にやって来る高揚感は一時的です。

世の中とはとても不思議な場所で、街中などの同じ空間でも、人生の真冬を過ごしている人と、春夏を満喫している人がごっちゃ混ぜになっています。まるで同じ電車内でもある人は半袖を着て、隣りの人は真冬用のダウンジャケットとマフラーをしているかの様に。


寒い季節の中でも、恋愛や仕事やお金や健康などに関して様々な願望が誕生して行きます。

そしてその願望こそが、冬を春に変え、春を夏に変えて行く為の糸口であり、上昇口です。願望実現に向けてステップアップする事が、心の上昇に繋がり、永遠と季節も良くなって行きます。

引き寄せの法則の世界では人間が生きて行く理由とは、生涯の間様々な願望を誕生させ、望んだ物が現実に現れる様になる為に感情をパワーアップして、成長と拡張して行く事だと言われます。

しかし本当の目的はとにかく幸せになる事です。幸せでいるのが当たり前になる事です。

常時幸せでいて、人生は楽しいと思え、毎日生き生きしながら、心の中で春の日差しや真夏の太陽を満喫する事です。 

ですのでソウルメイトを見つけたり、理想の家や仕事を見つけたりするという夢は、自らをパワーアップさせる動機ときっかけになり、色んな願望実現の冒険を過ごす内に、自らを冬からもっと温かい季節へ引き上げてくれるのです。

特に何も願望が無いのに、「幸せになる為に感情を上げよう」と意識して毎日実践されると言う気にならないかもしれませんが、何か望む物があるからこそ、今より上の場所に行こうと心掛けて、そこから常時幸せと言う新たな高台から人生を見渡すきっかけとなります。

生まれてから何もせず得られた常備されていた物。例えば若さや健康や与えられた食べ物や住処など、年を重ねて行く内に失って行き、自らで得る事が必要となって行きます。

お金とか健康とか人間関係など生まれつき与えられた物は、元々設定された物なので度合いに上限があるのに対し、引き寄せの法則を通して得て行く物事には上限はありません。どんどん良くなって行きます。

例えば会社勤めの頃は月収30万との枠があった事に対して、引き寄せの法則を利用してお金持ちになる方法を見つけ場合は、何百万とか、何千万に増えて行く事が可能です。

同じ様に1日1万歩も歩けばバテてた頃に比べ、引き寄せの法則を通して精神がパワーアップして、水だけ飲めば幸せになる事により、毎日平気2万5千歩歩いてもびくともしなくなる事が可能となります。

春夏の眩しさも同じで、青い空がもっと青く見え、地球上の天国がもっと天国になって行きます。「生まれて良かった」と思える気持ちの度合いがどんどん強くなって行くのです。

その様な状態が標準装備となると、嫌な事がある場合、以前の様に良い気分が台無しになるのでは無く、自然と又幸せな状態に戻ります。

そしていつも「生まれて良かった、生きてて良かった!」と思える事が人生の、更には願望実現の旅が存在する本当の利用なのです。

子供の頃から一度失った春夏の感覚を自ら取り戻し、作り替え、再定義して行く事舞台が、人生の大リーグです。

願望実現する際の心の状態

引き寄せの法則を利用して、物事が上手く行く際、事前に心の中で変化があった事を察する事が可能です。

例えば体調不良や、なんらかの病気があった場合、症状は未だ治っていないけど、心の中ではもうこの病は存在しないと確信を持つ事が出来ます。そしてその確信が舵を取る様に、症状も自然に消えて行きます。

数年前アメリカで大統領選挙があり、自分が好みの候補者が勝った筈なのに、ある州の投票数の数え直しなどで、なかなか正式に決定しない状態が数日続いた中瞑想した後、自分の中で変化があり、「もう決まった。これまでの4年間からの暗闇から解放された」と確信出来、心配する気持ちが蒸発し、そのまま現実でも上手い具合に好みの候補者の勝利が決まりました。

これまで個人的にこの様な事を何度も何度も経験して来ました。

引き寄せの法則による現実の変化は、信念の変化に後からついて来る形なのです。

規模が個人レベルの事でも、世界規模でも、問題解決と願いが叶う過程は同じです。ネガティブな感情が洗い流された、ニュートラルな心の状態が、現実という名の船の舵取りをするのです。

人生が劇的に変わる様な、大きな夢と思われる様な願望に関しても同じです。

マラソンに例えると、ゴールした後の賞品を受け取る前には、まずゴールしなければなりません。

感情的に「終わった」と思い、ゴールするのと同時に賞品を手に抱えるのでは無く、ゴールしてしばらくしてから、表彰会などがあり、そこで初めて手渡されます。

夢が叶った場合も、願望実現する為の心の旅と言う名のマラソンがあり、例え何年かかったとしても、笑顔で両手を広げ、ゴールする事が出来ます。

そしてゴールしたからにはそのまま何もしなくても賞品を受け取る事が出来ます。求めていた物が驚く形で、現実に現れます。表彰会まで数分ありますが、ゴールしたからには、「え〜未だ来ないの〜?」とはならず、過程を信頼しながらゴールした喜びと達成感に浸りながら、時間を過ごします。

だからゴールして、その後実際に夢は叶うまで日数があっても別に問題じゃなく、むしろ幸せな状態です。

ゴールする前は色々気持ちが不安定でデリケートだったのに。

例えば気温が暖かい春や夏は、自然と気分が向上するので、願望が叶い易いのでは無いか? 秋になりこのまま寒いくなると、気分が低下しネガティブになりやすく引き寄せのクオリティが下がり、夢が叶いにくくなるのでは? それは嫌なので何とか暖かい内に叶えないと!

又、人生において健康やお金やら仕事やら人間関係において問題があると、「この問題のせいで気分が低下する!せっかく願望実現について気分が向上したのに、このせいで台無し!あ〜やだ!」

こんな感じで色んな問題に振り回されても、いざゴールを過ぎると、そんな事関係なくなります。今までならへこんでいた事があっても、勝利に酔いしれる事が出来、リア充した気持ちで1日を終える事が出来る。

季節が冬でも、目にものもらいが出来ても、願望に関してゴールした事には変わりありません。ゴールした後に係員の人が笛を吹いて、「あなたちょっと今寒くなったからネガティヴになってる。一旦5km位戻って、又やり直し走行お願いします」とはなりません。

願望が生まれた0kmのスタート地点から、何度も何度も幸せな気分を上げる為引き寄せワークをこなしてきた。ただ走るという同じ引き寄せの法則ワークという動作を繰り返して来ただけ。そして40kmの地点からようやくとどめの一撃となる引き寄せワークをする。

ゴールを越えさせる瞑想などをする際には、その直後や、次の朝の目覚めと共にはっきりと確信する物です。清々しい気持ちで、「もう終わったんだ」と実感出来ます。

今まではちょっとした嫌な事がある度に気持ちがぐらついていたのが、気にならなくなります。舞台の上に立って、そこから見下ろす感じ。

季節の変化や、空腹感や体調不良や、街中で魅力的な人を沢山見かけても、周りは冷たく無反応嫌などの様々な問題に振り回される事はありません。線を超えたのですから。

いざ正々堂々と優勝した後には、その事実を記録から消せる物はありません。

例えば恋人を引き寄せるのが夢の場合、実際に恋人がいる人は、真冬でも空腹でも、貧乏でも、恋人がいる人はいるので、これらの全ての問題を片付けなければ、恋人は貰えないという引き寄せの法則的なルールはありません。ゴールを超えた者全てが報われます。

そのゴールを超える為にこれまで毎日毎日、気分低下する揚げ物や砂糖類や小麦粉類の食べ物を避けたりして、毎朝セロトニンを分泌させる為運動して、常に気持ちを最善の状態に持って来た理由は、それらの行為をすれば、今いる20km地点から急にゴールにワープ出来るからでは無く、単純にその一つ一つの位置を綺麗に見届け、最大限に楽しむ為にする事です。料理職人が包丁を研ぐかの様に。心が綺麗な状態の方が星空に感動出来る様に。

そうやって全ての瞬間を試合の様に、本気で生きて来たから、ゴールに辿り着けます。水しか飲まないし、揚げ物やジャンクフードは食べない理由を、毎回色んな人達に説明しながら。

42km地点に達する為には、最初の41kmの全てが必要です。これまで進んで来た道のりと、気付き、知識、新たな視点、変化、小さな勝利達の全てに意味があります。ゴールとは未だで頑張って来た事の集大成ですので。


今いる場所で起こるのなら、今いる場所が完璧な舞台だったという事。道のりが全て正しかったと言う事。逆に道のりで遭遇して来た事が、ゴールがどんな感じか教えてくれるヒントです。色んな事を体験してそれがジワジワエスカレートして行き、それの最終型が願望実現となるので。


そして辿り着く場所では心の中はホワイトクリスマスの様な最大な祭日が展開された様に感じれます。その様な感情の中で、引き寄せの法則と言う名のサンタさんがプレゼントを運んでくれ、目を光らせ、両手を広げ、子供見たいに飛び跳ねながら、受け取れます。人生の頂点に立つと、悪役の人も含め、周りにいる全ての人達が、自分のストーリーを盛り上げてくれる役者であったように見えます。





今日の得点を記録して勝利を導く

10年程熱心に勉強させて頂いた引き寄せの法則の講師エイブラハムは、願望実現に関して、「Stop keeping score」と良く言っておりました。

直訳すると「(試合の)得点を記録しないで」。ここで言いたい事は、願望実現が上手く行き、現実となり結果が出てるかどうか気にするな。例えばお金が欲しい場合なら、現実の世界でお金が増えたかどうかいちいち気にせず、感情だけに注意しなさいと言う意味です。

しかしその感情の中で勝負の得点を記録する方法があります。抱えている願望や、問題について、心の中で感覚的に得点を決めます。

例えば恋人を求めている場合、感情的にその日の得点はどの様な感じだったでしょうか?

朝目覚めた時点でパッとしなかったり悲観的で、家を出ても辛い事ばかりで、余計酷い気持ちで1日を終えたとすると、得点はこんな感じのぼろ負け試合になります:

月曜日: 現実 15 - 私 0 (5回コールド負け)

曜日と名前使った方がリアル感あり効果的です。

そのスコアを振り返って、落ち込んだ状態になったまま、毎度お勧めさせて頂いている明るい感情を感じ事(瞑想、明るい曲を聴く、絶頂オーガニズムを感じる、等)をする事により、試合の結果をもっと良い得点に変える事が出来ます。

要するに現実を変えて行く事が出来るのです。

まずは同じ敗戦でも、2-0の様なもっとソフトな負けに変わって行きます。

例えば現実2 -私0だとすると、9回全部戦えた。家出る時はとてもワクワクして気分良かったし、なんかときめく事もあったけど、結局は何も無く帰宅した。今度は勝ちたい。いやっ、まずは引き分けか。

そんな感じで、この幸せのスコアを記録するワークを続ける内に、人生は好転して行きます。

まずはスコアがどうだとか余り気にならなくなる様になります。これは気持ちの中ではもう願望実現や問題解決は上手く行ったけど、実際に現実に現れるまで時間がある状態であり、物事がどうなってるなど余り気にならなくなった事を意味します。

この状態ですと、未だ現在的には物凄い事は起きず、いわば敗戦状態ですが、同じ負けでも勝敗は関係無い消化試合のように感じます。心の中ではもうリーグ優勝は決まっているけど、残り試合があるから消化している状態。

そうやって自分の願望実現との距離を測る事が出来ます。

そしていざ実際に試合に勝つ時が来るとします。引き続き野球に例えると、優勝するチームでも相手の打者全員が三球三振してノーヒットノーランで全試合勝つ訳ではありません。

ボールが先行する事もありますし、ランナーを出される事もあります。それでもなんとか凌ぐ。応援してる側としては、心拍数や血圧が上がる、ハラハラドキドキ状態。そして試合の行方は最後まで分からない接戦ですが、終盤の一つのプレーが決勝点になり、終わってみれば勝っていた。

現実に例えると勝利する日、更には願望が実現する、夢が叶う日だとしても、全てが朝から最高に進む訳では無く、駅まで向かう途中で歩きタバコをしている人に遭遇したり、電車内で誰かにジロジロ見られたりなどの、現実と言う名の相手にヒットや得点を入れられ、少しやられる。しかしその流れの中でも、帰る頃には気分は最高で幸福感を感じる。結果的には勝っていた。

例えスコアが2-0でも、11-10だとしても、勝ちは勝ちで、祝賀会が開催されます。何も朝起きた時点で家の前に赤いカーペットが敷かれ、高級車が迎えに来てる様な圧勝完璧状態は必要ありません。全ては薔薇色、全てはトントン拍子に越した事はありませんが、泥沼接戦で延長戦の上で1-0でなんとか勝っても、勝ちは勝ち。気持ち的に今日は勝ったとはっきり分かります。

今生きている場所で、いつもの現実そのままで勝ちに行けるのです。気持ち的に勝ちの日々が続くと、引き寄せの法則は必ず夢を叶えます。野球でも勝ち続ける事が優勝に繋がるます。そんな日々の中で、人生を変える様な驚く出来事を引き寄せます。

優勝パレードにおいては、世界全部が薔薇色に見え、沿道にいる人達全てが笑顔で手を振り、祝福してくれる、世界の頂点という大舞台に立った状態。

そこに行く迄はまずは心の中で一つずつの敗戦を、「今度は勝てる様に」と、気持ちを強化して行く必要があります。

「こんな事があった。あんな事があった」と思う毎日の中で、結果的には最終スコアはどうだったのでしょうか?

シーズンはあなたが優勝され、胴上げされる時が来るまで、永遠に続いて行きます。まずは点差を縮め、初勝利を目指しましょう!

夢の前の夢


願望が誕生してから、冒険の最初の頃は、気持ち的にそりを急な坂道の上に向かって押して行く重さがあります。

切実に心の底から願っているのに、現実は見知らぬ顔して過ぎ去って行く様な都会の冷たさがあります。

しかしそれでも押して行くのが人間の美しさ。

それは一歩ずつ進む度に、自らの位置が高くなっている事が分かるから。

今日も又現実はびくとも動かず辛くても、心の中では少しずつ楽になっている事が分かるからこそ、前に進みます。

後ろを振り向くと、下界は又少し遠く見える。前に進んでいる。今日はささやかな良い事があった。だから又前に進める。

しかし上を見上げると未だしんどい。頂上が雲に隠れて見えない。でもここまで来たらもう引き返せない。とりあえず頂上を見たい。

しかし実は頂上とは願望実現では無く、そりの本来の目的であった、下り坂を滑る事を楽しむ事だったのです。

引き寄せの法則的に、登り道だけで苦しんだ末に、突然夢が実現すると言う展開は法則に反します。

夢とは、自分自身が夢になってからこそ実現する物です。

だからこそ求めている物はキツイ登り道の途中では無く、重力無しの楽な空間の延長線として存在します。

下り道を楽しんで楽しんで遊び尽くした上で、そりはおとぎの世界に吸い込まれます。

欲しい物を見ても、求め無くなった時点から、頂点からの下降が始まって行きます。

ラブソングとか聴かなくても十分幸せな気持ちになれる頃から。

心の高揚感が、現実の冷たさを上回る頃から。

何も起きなくても、幸せな気持ちでお家に帰れる頃から。

そんな生まれ変わった自分に気付き、「凄い!」と思える頃から。

心の中で感じる手答えに、正真正銘の鳥肌を感じる時。例えば街中で魅力的だと思う人を見ただけで、感じる親近感が半端なく、普通に付き合ってる姿をリアルに感じる時。

今回瞑想したら又新しい次元にワープした。今気になるのは現実がどうのこうのとか、他人が自分の事どう思っているとかでは無く、次又瞑想する時、今度は一体どんな世界に生まれ変わるんだろう?

坂をどんどん下って行きます。

そりが勢い良く下降する時は、とにかく楽しくて、スリリングなので、いつ下に辿り着くとか、一番どうでもいい事。むしろこのままずっと冒険を満喫していたい。

しかし登った分が高ければ高い程。願望の規模が大きいと思えば思う程、下り坂も楽しさを数倍に返してくれて、「これでもか、これでもか」と何度も言う程、色んな気付きを用意してくれます。

だからこそこの世の中に生きている人にとって、本当の夢とは、夢見る物自体ではなく、そこに辿り着く迄の下り坂の旅なんです。

そして本当にそりで坂道を下る様に、楽しめば楽しむ程、終わりが近付いて来るのが分かります。

楽しい気持ちがマックスになった頃、夢への冒険は終わります。楽しんでる者が楽しい物を引き寄せる、それこそが引き寄せの法則です。まるでジワジワ上がって行く快感を楽しんだ末に、絶頂オーガニズムに達する様に。

生きる事の意味



スピリチュアル的に見て、この地球では生まれ持った物を失うというある種の法則の様な力が存在します。

例えば若さは、生まれた時がピークで、そこからどんどん失われて行きます。

子どもの頃は髪の色や肌の状態は綺麗で自然な状態だったのが、大人になるにつれて白髪やシワなどに変わって行く。

子供の頃は一般的にお金や住まいなど、親などの大人から何もしなくても与えられていた物の、学生生活を終えると同時に、お金は支給されなくなる。自らお金を稼がなくてはならなくなる。

で今度は安定した給料を貰っていたのに、リストラや起業、又は仕事して給料に頼らず、自らお金を引き寄せたいという意識に目覚め、ゼロからのスタートになる。

若いから若い人にモテていたのが、年を取ると若い人におじさんおばさんと思われ、女・男として興味持たれなくなる。

他にも個人レベルで、元々与えられた物が失われて行く事は色んな形で発生します。

例えば最近気付いたのですが、自分がシアトルから日本に来た理由の一つとして、元々はそこで育ったからという、要は「元々与えられたから」と言いう理由で住んでました。

しかし2009年ごろに脱サラして、スピリチュアルな仕事をしたいと心掛け、それと同時に世界的な大不況が訪れたタイミングで、金銭的に住み続けるのが困難になり、結果的に追い出された形となりました。

多くの日本人の方も似たようなな形で、元々は自然豊かでいるだけで幸せになれる、地方で育った物の、就職先が無い為、コンクリートだらけでストレスが多くなる大都会への移住をされ、子供の頃の様に綺麗な川や山や蛍などを満喫出来なくなった方も多いかと思います。

若さをや自然との距離を失う様に何かを失う事になると、次は自然と取り戻そうという願望が生まれます。老ければ若くなりたい。天国から地上に戻ると、天国に戻りたくなる。

なので最近の自分はお金持ちになり、又シアトル郊外の新鮮な秋の空気を毎日満喫出来る日々を想像出来る様になって来ました。

若さや環境など、生まれ付き備わっていた物はこの世の中の逆境に弱いので、年齢やら不景気やらの困難なチャレンジに対しての耐久度は無く、失う方向に向かいます。

具体的に言うと、この世の中では「年齢と共に老けて行き、魅力を失う」との信念が充満しており、親など色んな大人から伝えられる、実際に大人達が老けて行く姿を目にすると、それが世の中の真実だと受け止める。そこで自らの生まれ持った若さと魅力に関する信念も一網打尽にされ、現実においても老ける方向に向かう流れが出来る。

だからこそ同じ様に、未だ幼い小学校卒業したての子供が、日本の中学に通うと共に、ポジティブな感情や、人間への期待など、様々な物を失います。

「日本の中学校は基本刑務所と同じ」と、複数の日本人の大人に言うと、誰もが口を揃えて「確かにそうだ」と言います(現役で客観視出来ない世代以外は)」。

「俺の時代なんて先生からの暴力は当たり前だった」。

「部活の時は夏での水は飲めなかった」。

「今の時代先生による暴力は大問題になるが、うちの13歳の娘は暴言を受けているらしい」。

この様な声があり、12、13歳のまだ子供である学生達にとっては、知らない内に刑務所よりトラウマになり、大人になっても恐怖に怯えた目つきや口調が物語っています。

子供ながらの無邪気さや自己表現力が封印された後、取り戻す冒険に意味があります。

人生はそこから。

失われた物を取り戻す際、まるで世界の美し過ぎる秘境を発見して、両目を大きく開けて「すっご〜い〜!」と叫んでしまう様な様な様々な発見や気付きがあります。

例えば自分の教えている専門学校の授業で、控えめで自己表現が上手く出来なかった女子生徒が、クラスの前で恥を忍んだ魂全開のパフォーマンスをして、皆に受け入れられ、閉鎖されていたダムが一気に全開する爽快感を感じる。「へ〜。これが私の本当の力なんだ!」

それ以降その生徒さんはオーラ的にキラキラして、積極的に話が出来る様になりました。

日本の中学などの経験者は、この様に地獄を経験してそこから立ち上がり、帝国を築き直す。まるで焼け野原の街が世界有数の大都市に立ち直る様な爽快感を感じ、それこそが人生をフルに生きている事になります。

だからこそ不幸な人はむしろ幸せ。

逆境の数と度合いだけ大王国になれます。

世の中が鮮明に見える度合いも、大人になるにつれて、お酒やカフェインや、学業や仕事におけるトラウマやストレスなどが原因で鈍化されて行きますが、パワフルな瞑想は医学的に解説不可で、失われた脳細胞達を蘇らせ、「世の中ってこんなに綺麗だったんだ〜」と思う様な、まるで人生で初めて鮮明な海と青空を見る様な、異次元にワープしたかの様な感動をもたらせてくれます。

子供から大人になるに連れて気付かない内に失われた沢山の物。お金、健康、若さ、勢い、無邪気さ、信頼、愛情、期待感、感性、魅力、感覚、笑顔、環境などなど、様々な宝物を取り戻すリハビリの冒険が人生を豊かにしてくれます。

そもそも人生において、生まれた時点で天国モードで幸せ絶頂で、ずっとそれをキープして一生を終える人はいないし、魂のレベルでは誰もそれを望んでいません。

まずは生まれた時点で自由に空を飛べなく、引力がある事にショックを受け、ママとパパが困った顔をする事や、もしくはパパ自体がいないなど、又は好きな食べ物が与えられない事、ミルクの時間が遅い事、熱がある事などを経験して、少しずつ失速して行きます。

しかし一つ一つ失った物を、今度は自ら引き寄せの法則を利用して得て行く事により、ガラスで出来た貯金箱が剛鉄、更には宝石に変わって行く。

この地球で欲しいと思った物は、想像したよりも凄い形で現れます。

現在を創り変えると言う事は、失った鉄の斧は、金の物に変わる事を自らの願望実現の旅路において発見する事です。

これまで何度も紹介させて頂いた色んな引き寄せワークは、全てその願望実現リハビリの旅の加速させ、協力にする事を可能とします。

自分の写真を利用して、人生を変える



毎日の生活の中で発生する全てのネガティヴな発生を、メモにまとめる方法はこれまで何度か紹介させて頂きました。

毎週都合の良いタイミングで寝そべりながらその一つ人のネガティヴな考えを読み返して、ネガティヴな感情を呼び起こす。

例えば「今週も夜遅く迄仕事して、帰りの電車内も仕事で疲れた人や酔っ払いの空ハイテンションの人達ばかりで何も楽しい事もトキメク事も無い空回りの時間。魅力的な人がいたとしても、その人は無言で座ってスマホ見てるか、通り過ぎていくだけ。これが毎晩リピートされ、月日が過ぎて行くだけで。」

この様な思考を振り返り、感情を呼び起こした上で、自分の写真を見つめ、上記のストーリーと照らし合わせる:

「写真に写っている人(私)は毎晩仕事帰りの電車で空回り感や虚しさに襲われている、とても可哀想な人」。

他にも、「写真に写ってるこの人(私)は、笑顔だけど、欲しい物が買えず、節約と我慢を繰り返す、子供の頃は何にでもなれると夢見てたあの頃からかなり妥協して細々と生きている可哀想な人」。

「笑顔で写真に写ってるけど、本当は身体中が悲鳴をあげて、辛い思いをしている可哀想な人」。

こんな感じで一つ一つのネガティヴな思考を自分と照らし合わせた後、思いっきり可哀想だと思った上で、最高の気分になる事を数秒します。

例えば世界で一番魅力的だと思う人の目を写真や動画を通してじっーと見るとか、最近に気分が盛り上がる曲を聴く。

そうする事により、全く同じ自分の写真を見ても、上記で述べた様な、「私は可哀想」と思う思考が湧かなくなります。

これはどういう事かと言いますと、自分に関するイメージを強化する、最強のイメージトレーニングであります。

現実に関して気持ちが沈んでいる状態だった自分のイメージが、強く輝くキラキラした物に上書きされます。全く同じ写真を見ても、可哀想な人が、イケそうな人に思える様になります。

このワークを何度も(場合によっては一度だけ)繰り返して行く内に、「帰りの電車は虚しさと空回りの空間」が、「私は楽しい事を引き寄せる人」に急変して、それが自らの新しい信念となります。

その様に信念が変わるという事は、求めている物や出来事とエネルギー的に同じ土俵に立った事を意味します。

そうなると、沸いてくる思考も自然と変わります。例えば「毎日虚しい空回りだけの生活だ」と思っていたのが、気が付けば「その内なんか出会いがあるだろうから、それまでに色々準備しないと。部屋を片付けたり、ヤバい物は整理したり。ww」

「あれっ?今私なんて思った?出逢いが起きる前の準備ですって?ヒャー!凄いじゃん。今までそんな事考えた事無かった。ムッチャ成長してるじゃん私。でも不思議な事にとても自然に感じる。」

その様に思考のクオリティが好転した事に喜びを感じると、後は普段の生活で体験する気持ちのアップダウン(仕事でのストレス・空腹・問題、等)を経験しながら、その上昇した気持ちをキープ出来る様になるだけです。その為には何度か今回紹介させて頂いたワークを繰り返すのみです。
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