集団社会と引き寄せの法則 | ~毎日を天国モードにする!「引き寄せの法則」ブログ~

集団社会と引き寄せの法則

世の中には日本など集団主義から成り立つ国と、アメリカなどの個人主義の国があります。

 

引き寄せの法則的に見ると、個人主義と集団主義では、どちらの方が感情の位置が高いのか?言い換えると、どちらの方が幸福感が高いのでしょうか?

 

個人の感情を優先させる個人主義の方が幸せになれます。

 

例えば、ダンスのチームがあるとして、一人だけずば抜けて能力が高い人がいるとします。しかし、自分のその高いダンス能力を披露する事により、他のメンバーが妬んだりする為、みんなに合わせる為あえて本来の能力を披露出来ず、控え目に踊る。

 

又はチーム内でお弁当を注文する際、自分はサーモンを無性に食べたいけど、周りはチキンなどで、皆に合わせる為あえて妥協する。これが個人主義のアメリカ人なら、「他の人はどうでもいい!私はサーモンが食べたいからサーモンにする」となります。

 

コロナ禍最後の方で、もうマスクはいらないけど、みんなしているから苦しいけど着けるような同調圧力も良い例です。

 

自分の本来の欲や願望を抑えて、感情の位置が違う他人に合わせる事は苦しみに繋がります。

 

感情の位置がより高い人が、より低い人に合わせる事は苦しみとなり、共倒れに繋がります。

 

自己主張出来ない事とは、心の中を鉄の塀でブロックする様な苦しみをもたらします。

 

自由である事が人間の本来の姿ですので、集団社会の中で苦しみながら他人に合わせる事は引き寄せの法則の概念に反します。

 

それだけではありません。

 

集団主義において教育や風習により、皆が同じ考えを持ち、皆に合わせる事により、思考も感情の位置も均一化されてしまいます。

 

人間は皆それぞれモンスターの様な無限の可能性と個性を秘めているのですが、皆を均一化させる集団主義により、怪物が心の中の檻に閉じ込められたままの状態になります。

 

幸せとは自己の個性を全開にする事。

 

歌を歌う時、皆に合わせる為あえて小さな声で歌うのと、思いっきり好きなだけ大きな声で歌うのとでは、どちらが幸せになれるのでしょうか?

 

日本ではまるで小声で歌うかの様に、社会的に設定された恐れベースの低めの感情の位置に皆が入り込むので、個性を封印した人達による集団社会が構成されるのです。だから目付きや口調も統一化される。

 

日本人達の目付きや話し方だけでも個性が奪われている事が分かります。

 

話し方は世代別に変化はあるものの、世代毎には同じ様な口調で話します。例えば高校生ならほぼ皆「高校生らしい」アクセントで「やばい」とか「ガチ」の様な同じ単語を、どこの電車でも街でも利用しながら会話します(少なくとも首都圏では)。

 

コロナ禍で皆マスクしていると目だけしか見えない為、目付きも共通しているのが分かります。例えば街中にいる女子学生の目を見ると、「嫌な事に耐えて、言われた事をちゃんとこなし、しっかりしなきゃ」見たいな顔をしている。悪く言うと、皆んなコピペされた様な雰囲気。

 

心の内部の状態が目付きや話し方に現れるのです。集団主義だと、集団主義が目や声に現れるのです。

 

それに対してアメリカの様な個人主義の国では、同じネイティブ英語スピーカーでも、個人個人アクセントが違います。怒って様に早口で話す人もいれば、ビーチで寛いでいるかの様なゆったりした口調で話す人もいます。

 

瞳も鷲見たいに鋭い人もいれば、暖かい太陽の光を満喫した様なリラックスした目の人や、不思議そうな表情をした人やら無限のパターンが見られます。

 

更には、集団主義国において、お互いが助け合う主義の為、仕事が無くとも家族が助けてくれる。アメリカでは学生時代を過ぎると、独立するのが普通ですが、日本ならいつまで経っても実家に住んでも大丈夫。

 

アメリカの様な国において、困った時家族が助けてくれない事により、自らが解決策を探す事になり、自身の成長を促します。

 

引き寄せの法則を(意識無くても)利用し、色々な想像を絶する解決策を引き寄せる冒険を体験する事が出来ます。

 

それに対して、仕事が無ければずっと実家に転がり込んで良い日本だと、その自己の引き寄せの法則を利用して成長して行く冒険も封印してしまう事になります。

 

これも本当は助けているのに、共倒れに繋がっています。

 

更に集団主義国の特長として、細かい事に注意を払う所があります。例えば社会人の中で、取引先の人物のシャツにシワがあるかどうか気にする人がいる。西洋人は大雑把なのでシワ一つで人間を判断する人はまずいません

 

又、冷蔵庫とか購入する際に、「このボタンは何するのか」とか、西洋人なら気にしない様な質問をする。これは自分がアメリカの大手デパートで販売員をしてた際良く経験した事で、アジア人の客は本当に細かい質問を沢山して来るので、他のアメリカ人の店員達からも厄介者扱いされてました。

 

アジア人風の夫婦が来店すると店員達が、「おい、さっきは俺がアジア人の接客したから、今度はお前の番だ」見たいなやり取りを良くしてました。

 

この様になぜ集団主義の国の人達は細かい事を気にするのかと言うと、引き寄せの法則において感情の位置が低ければ低い程、細かい詳細がが気になるからです。

 

例えば白髪で悩んでいる際、感情が低位置だと、「どこに何が何色で生えているか」良くみえて、良く見る必要性を感じます。

 

それに対して感情の位置が高くなると、見る必要性を感じ無くなり、見たくても見えなくなり、そうやって問題が解決して行きす。

 

問題解決の場合は、感情が上がるにつれて問題に関する細かい事が見えなくなりますが、普段の生活において得る事は全て今後の人生においてずっと役に立ちます。

 

日本人が細かい事に注意を払う事に関しても同じです。日本特有の細かい事にこだわる技術があるからこそ、精密で長持ちする自動車や電化品や医療技術が世界中で受け入れられる様になりました。

 

要は全ての感情の位置に意味があります。ロールプレイゲームの様にレベル1の段階で得たアイテムや知識や技術が、ずっとクリアするまで使えるかの様に、無駄な物はありません。

 

他にも最近自分は北欧の叙情デスメタルを良く聴くのですが、そのような音楽は怒りに溢れてネガティブだと思われるかもしれません。しかし15歳の時出会ったメタル音楽から得た物は高校生の時学校で敗者枠にいた嫌な現実に反抗する反骨精神です。

 

そのような嫌な現実と感情に立ち向かって行く精神は今も生きています。引き寄せの法則を利用して感情を上げて行こうと、デスメタルの反骨精神と共に生きています。

 

だからこそ人生の旅路で得たアイテムは生涯役に立ちます。

 

そうやって考えると、街中の人々が皆同じ口調と目付きだとしても、「なんでこうなんだ」と嘆かず、「全ての事に意義がある。このような状態から得れる貴重な物がある。」

 

それに他の国の人達と比べて、精神が圧迫された辛い経験をする事により、引き寄せの法則はその他の国の人達は経験しないようなもっと豊かな人生経験を用意してくれます。もっと自由になりたい。もっと自己表現したい。もっと踊りたい。叫びたい。これまでずっと封印されていたモンスターが顔を出す時、今まで圧迫されたからこそ、光の望む気持ちは高くなり、光はもっと眩しく見え、光を感謝する事が出来ます。

 

モンスターの卵だらけの日本。

 

従って世界は癒されていてると認識しながら街を歩く事が出来ます

 

今後自分が仕事において頑張っていきたい事は、無表情の瞳の奥に隠されたモンスターを起こして行く事です。

 

去年は未だで一番成功しました。4月時点では大人しいお人形さん見たいな人達が化けて行き個性を開花されると、教室に入る度強いボスみたいな人達が増えて、講師である自分が押され気味になってしまう(汗)。

 

まあでも前学期最後の授業で、2名の女子生徒に教室の前に立って、10分位議論を引率して貰った際、10分どころじゃなくてそのまま1時間以上ディスカッションをリードしてた姿を見た時は驚いたし、感動しました。