(つづき)
手を繋ぐ大事に関して、でしたね。
現代では否定され、バカにされますが、
人間のコミニケーション、そして動き全般は、
気が先行します。
気が無かったら、整体のことは成立しません。
物だけ解剖学だけ認知機構だけでは、説明できないことが多いのが、
この人体の実際てす。
現代は、武士がいなくなったし、農業も楽になったので、
極端に体を使うことがなくなり、生き物と触れ合うことが無くなった稀有な時代です。
このため、気という概念が無くなってしまったのでしょう。
しかし、
人間のことを理解するのに、気のことを外したら、
話が難しくなるのみなのです。
気は色が着いていなし目に見えないし、
勘違いや思い違いを起こしやすいですが、あると考えた方が良いものです。
気を馴染ませる、気の交流のためには、
手を繋ぐ方が良いという話でした。
反対に、
自分の意見だけを押し付けたいなら、手を繋がなくても良いです。
気が繋がらず、交じり合わないので、
一方的なことも可能となります。
しかし2人で未来を創る意図があるのならば、
2人にとって真となる会話の交流をした方が、効率的です。
つまり、
手を繋ぎながら会話する、
手をつないだ感覚で会話する、
と言うことです。
すると思ってもみないようなアイデアが湧いたり、
打開策を打てます。
そして、予想していなかった理想的な未来を築くことができる率が高くなるのです。
これは2人だから、気を交じり合わせるから可能な世界です。
一人では無理なのです。
気が交じり合うと、1+1=2の2馬力以上の力が出るのです。
簡単に言えば、飛躍する方法なのです。
男女が愛し合う、一緒に考えるという事は、
とても深い世界へ私達を誘ってくれるものなのです。
私達に必要な事は、
気を合わせる、
つまり、心を開くと言うことなんでしょうね。
手を繋げば… (完)
(感謝)
吉田直樹 拝