ドラゴンボールと、神道 | 『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ

改めて、鳥山明先生の漫画・ドラゴンボールを思い返していました。

皆さん、気が付いていましたでしょうか?

あれ、かなり神道的な漫画です。

江戸時代までの神道だから、

今で言う古神道、惟神の道と言われるものです。

 

この思想が結構入ってる。

日本だから出来上がった漫画でしょうね。

 

誰の知識なんでしょうね?

鳥山明さんか、編集者か。

少し気になります。

少なくとも、ドラゴンクエストシリーズなどを作るときに、

神話や宗教は、研究したか、専門家と交流があったとは思われます。

 

私は宗教の専門家では無いですが、知ってる範囲でお伝えしたいと思います。

 

 

 

ドラゴンボールが大ヒットしたのは、

イスラム教やキリスト教の宗教観、宇宙観とは違う漫画を、

面白く、おかしく、明るく書いた点もあるかもしれないですね。

夢を彼らも、感じたのかもしれない。

 

人間がいて、神様がいて、あの世があって、

神様も知らない、さらに上の神の世界があるという点。

 

「ドラゴンボール超」になってから、はっきり出ましたが、

天使と破壊神の組み合わせ。

神と悪魔。

陰陽☯️  ですね。

(陰陽は道教)

最初の頃の、ピッコロ大魔王と、ピッコロ的な神様 の対比もそうですね。

 

 

 

1950年代、60年代生まれの人は、学校の国語の教科書で、

このピッコロ大魔王と神様の関係の原型となる文章があったと聞きます。

 

曰く、その昔、才能ある僧侶が京都で修行をしていた。

大悟徹底の悟りを開くために、自分の中にある悪を外に放出し、

ついに悟りを得たと言う話でした。 

しかし、その時から、京の街に、「 凶悪な鬼が出る」との噂が立つのです。

物語の結末は、その鬼を倒すべく、この僧侶自らが命を断つ。

こんなストーリーだったそうです。


「絶対的な白も黒もないし、それらを追い求めちゃいけないよ」

という意味にも感じられます。

 

1955年生まれの彼が、この教科書を見てても、

おかしくないと思われます。

ピッコロの物語の、原型かもしれないですね。

 

陰陽思想☯️  

隣のチャイナから入ってきた思想なのか、

もともと日本にもあった思想なのか、

ちょっと分かりませんが、隣のチャイナでは、多分紀元前から受け継がれている思想です。

人間の心か脳の中の、原型としてある像、ストーリーなのでしょう。

受け入れられやすい話なのでしょうね。

スター・ウォーズと同じように。

 

 

 

ドラゴンボール超になって、破壊神と天使が、地球の食べ物に感動して、

心変わりするシーンがあります。

また、おいしいものに、この神様達が、目がないシーンがあります。

 

これって、まさに神道なんですよね。

神道では、神様にお供え物をします。

「神様に供え物をしないと、神と通じ合うことができない」

としています。

線香、ろうそく、塩、水、酒、そして穀物たる食事〜神饌ですね。

神饌を供えて、神との交流を図ったのです。

他宗派だとユダヤ教には、色濃く残っています。

 

地球のおいしいものを食べて、天使も破壊神も、ご機嫌になって、
言うことを聞いてくれる、寛容になると話が出ていました。

それまでは、地球の神が何を話しても取り合わない位に、気難しい存在だったのに、

料理を提供し始めると急に寛容になり、こちらに歩み寄ってくれるようになった。

まさに、日本の神仏観と同じです。

全王にしろ、破壊神にしろ、天使にしろ、界王神にしろ、

人間に対して無理解、無慈悲な面を見せていましたよね。 

 

 

「神様はいるんだけど、こっちのことを理解してくれるとは言えないし、時に平気で滅ぼしに来るよ」

と言うのが、神社神道の考え方です。

 

「神様のご機嫌を取る」

「神様のペットになる」

と言う考え方が、神社の考え方です。

 
数万年間、いろいろ試してみての日本人としての結論は、
神仏との付き合い方は、ここに帰着したようです。
だから、天皇陛下だって必死になって、大晦日〜元旦にかけては徹夜して、
儀式をしています。
いくつになっても、80代後半を迎えても。
 
もちろん、これだと、あまりにきついし、ごく1部の人しか恩恵を受けられなくなるので、
西暦500年代に、仏教が取り入れられて、大流行しました。
 
 
 

 

鳥山明さん自身、ストレスフリーで面白おかしく漫画を書いていましたが、

岡田斗司夫さんが指摘してるように、決して やりたい放題、好き放題で書いてたわけではなく、

苦悩の中を生き抜いた漫画家の1人で、あったようです。

 

その中で、神道のことも学んだのかもしれません。

ある意味、日本の原型、人間の原型みたいな部分が、

古事記・日本書紀にはありますからね。

そして、そうした神々たちや、侵略者たちとも和解、共存共栄できるのが、

孫悟空という、引きずらない性格、竹を割ったような性格、

 ある意味、清きあかき心 ということですね。

面白いと思いました。

 

 

 

日本の神社は、室町時代に元型がありますが、

この惟神の道、今の言葉で言うと古神道は、1500年代のもの。

その当時あった宗教のほとんどが、日本に来ていた。

そんな時代のものです。


仏教、儒教、道教、ジャイナ教、ヒンズー教、キリスト教、ユダヤ教、

そして日本古来の古墳時代以前からの宗教ですね。

これらが、混ぜて作ったのが、現代日本の神社の原型です。


なので、現代の世界の人も、何処かで引っ掛かるのでしょうね。

こんな背景のある日本人・鳥山明の宗教観がバックホーンにあったので、

ドラゴンボールも世界的にヒットになったのかなと思います。

 

 

 

 

今後やっと、鳥山明 という一人の人間の両面を描くルポが、出てくると思います。

私は個人的には、これが大変楽しみです。

映画化してもらいたい位なものです。

 

空前絶後の偉大な人物が、どんな生活を送っていて、どんな人だったのか、

何を考え、どうやって偉業を成し遂げたのか。

実に知りたい所であります。

 

68歳という、短命を嘆く方が、今多いです。

ヘビースモーカーで、引きこもる傾向があったということですから、

もうちょっとオープンマインドであれば長生きできたとは、思います。

しかし同時に、オープンマインドであれば、

あれだけの作品を描き切ることは、100%不可能です。

 

鳥山明として生き抜き、鳥山明として亡くなった。

こうしたことでしょうね。

「鳥山明として、生き抜いた」

ということだと思います。

 

何とも素晴らしい、最期までの飾り方です。

心より哀悼の意を、申し上げます。

 

 

 

(感謝)

吉田直樹 拝