【『麒麟がくる』関連本④】明智憲三郎『光秀からの遺言』 | 戦国未来の戦国紀行

戦国未来の戦国紀行

日本の戦国時代について

 

 

 原案:明智憲三郎/漫画:藤堂裕『信長を殺した男 ~本能寺の変431年目の真実~』(秋田書店)の4巻の発行が9月20日で、明智憲三郎『光秀からの遺言 ~本能寺の変436年後の発見~』(河出書房新社)の発行が1週間後の9月27日だと聞いていたが、突然、秋田書店と河出書房新社がタッグを組んで「光秀プロジェクト」を始動させ、同日発売(9月20日発売)となったのには驚いた (ノ゚ο゚)ノ

 

■光秀プロジェクト
http://www.kawade.co.jp/mitsuhide/

※発売から1週間。「明智光秀全史料年表」はまだアップされていない?

 

 作者・明智憲三郎氏が、「9月20日発売の拙著『光秀からの遺言 436年後の発見』河出書房新社は私の15年間の歴史捜査の集大成です。この本で今まで謎とされた光秀の前半生、出自・系譜、生年などが初めて明らかになります」と言っておられる。15年間にわたる研究の成果を、「系譜編」「生涯編」「子孫編」としてまとめ、『光秀からの遺言』には「系譜編」と「生涯編」を載せ、「子孫編」は後日、出版予定だそうです。

 

 個人的な感想は、「タイトルと内容が一致しない」です。『明智光秀研究大全 系譜編・生涯編』でいいかと。「光秀の遺言」「光秀からの伝言」なら分かりやすいけど・・・。

 

 以下はネタバレ(ネタバラシ?)。読まないように。

 

系譜編:以前、このブログに、「明智光秀の系図を数十年にわたり研究している郷土史家の結論は、『明智光秀は、明智光兼の子』だと書きましたが、明智光秀を15年間研究した明智憲三郎氏の結論も「明智光秀は、明智光兼の子」ということで、驚きました。

生涯編:この本の価値は、「前半生、出自・系譜、生年などが初めて明らかに」なったことです。「出自・系譜」は系譜編にあります。「前半生」は、「福井に住んでいたけど、朝倉義景ではなかった」です。「生年」は、『当代記』の享年67歳説(通説は享年55)を採用しています。「生誕地」は、福光館付近ということですが、これについては反論したいけど、長くなるので別稿で。

 

 改善していただきたいと思ったのは、「明智光秀全史料年表」です。

 本書で「明智光秀全史料年表」について詳細に説明した後、「明智光秀全史料年表」はウェブ(特設サイト)を御覧下さいって・・・特設サイトって、いつまであるの? どんなに本が厚くなっても、「明智光秀全史料年表」を掲載して欲しかった。あるいは第9章「明智光秀全史料年表」を削除して、『明智光秀全史料年表』という別冊にして欲しかった。

 ウェブ「天下統一期年譜」をお手本とされたそうだ。「天下統一期年譜」は、年月日と制作者による史料の大意が書かれているのみで、原文は書かれていない。「制作者の誤訳がある」とまでは言わないが、私としては、「史料」(原文と大意)の方がいい。

 天下統一期の史料の「原文と大意」を網羅したら、分厚い本になるが、明智光秀関連だけであれば、厚さは抑えられる。(本なら既に『史料で読む戦国史③ 明智光秀』があるからいらないって?)

 ウェブの魅力は「検索が楽で早い」ってこと以外に、「どんどん追加や修正ができる」ってことがある。手本とされた「天下統一期年譜」は、現在、ver.8.41。絶えず更新されているのがいい! 「明智光秀全史料年表」は、この先、どなたが更新されていくのでしょうか? 運営者が2人(秋田書店、河出書房新社)だと、両者の合意を得てからの更新になるから、即座の更新は難しそうだ。

 あと、「※当年表を引用の際には、出典として、本書所収の「明智光秀全史料年表」であることをご明記ください。」って注意事項が書いてあったけど、「明智光秀全史料年表」から引用する人は皆無かと。引用するような人が書く記事って、「明智光秀全史料年表」からではなく、原本から引用すると思うよ。たとえば、「『(史料名)』(土岐文書)によると・・・」と書くのであって、「光秀プロジェクトの「明智光秀全史料年表」に引用されている土岐文書の『(史料名)』によると・・・」と書く人はいないと思うよ。

 

※「天下統一期年譜」 http://www.cyoueirou.com/_house/index.htm

 

※共感部分:私は、戦法や兵器、城の構造には全く興味がなく、戦国武将の内面(心、精神、生き方)に興味があり、「内面を知るには、心理学の勉強が必要かもしれないが、それよりも戦国時代の宗教(仏教、神道、修験道、天道の4つ)の勉強が必要ではないか?」とずっと主張してきたが、本書では、「戦法の理解には、戦国武将が読んでいた中国の兵法書を読むことが必要」として、その例として、本書(pp.7-9)や『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』で「桶狭間の戦い」を孫呉兵術で解き、『信長を殺した男』第3巻「日輪の告白」(pp.192-194)に反映されている。興味の対象が「脳」と「心」の違いはあるが、共感した。

 

※「織田信長の野望と明智光秀の子孫が語る「歴史に歪められた織田信長の真実」〜」
https://www.youtube.com/watch?v=s9Mbv0j74AY

 

 文系畑「心」(感性、感情、本能)の私は共感したが、理系畑「脳」(理性、論理)の明智氏には突き放された。

「なお、光秀の感情や性格を復元しようとするものではないことも断っておきたい。なぜならば、感情や性格を当時の史料から復元することは難しい。信憑性のある記録には感情や性格についての記述はほとんど存在せず、推測の幅が広すぎてしまうのだ。そればかりか、復元したとしても歴史捜査には無意味だからだ。一族の生死にかかわる重要な決断は感情や性格でなされるわけではない。」(p.11)

 ──2つの行き過ぎ。理性を排除すること、理性しか認めないこと。(パスカル『パンセ』)

 私が言いたいのは「2つの行き過ぎ。感情を排除すること、理性しか認めないこと」です。私の定義では「一族の滅亡を阻止したい」というのも「感情」なんですけどね。

 

※もしかして校正漏れ? ①定政(天文20年=1551年生まれ)の生年が、p.18の系図には「1551年生まれ」とあるが、p.55には「定政は一五五〇年生まれ」とある。②p.76の地図に「観音寺城」が2つある。紫香楽宮近くのお城も「観音寺城」?(p.177の地図では「信楽」となっている。)

 

※これは? ①p.268「妻木藤右衛門の兄の娘」(「光秀が伯父」の意味は「光秀の伯父」では? 「兄の娘」ではなく、「弟の娘」。)、②p.285 『惟任退治記』の明智孫十郎は、二条古城で討死した恩田孫十郎であって、殉死した藤田孫十郎とは別人かと。

 

明智憲三郎『光秀からの遺言 本能寺の変436年後の発見』

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309227436/

https://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/2be74966a53439d1440af2e39ee11603

 

※参考サイト:『歴史が好き.com』 

「明智光秀関係 新発見情報のまとめ」
http://rekisigasuki.com/2018/05/26/%E3%80%90%E9%BA%92%E9%BA%9F%E3%81%8C%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%80%91%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%81%A7%E5%A4%A7%E6%B3%A8%E7%9B%AE-%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80%E6%96%B0%E7%99%BA%E8%A6%8B/
 

次回作は「子孫編」でしょうか? 楽しみです (^ε^)♪

「光秀の子の書かれた系図については子孫編であらためて取り上げることにして、いったん明智系図の捜査をここで終了する。」(p.73)

「「山岸系図」は安国寺文書、明智光秀公家譜、三宅系図など様々な名で呼ばれて流布しているが、正式に公開されているものは未見である。」(p.64)

「山岸系図」は『明智氏血脈山岸家相伝系図書』のことでしょうか? でしたら、非公式流布版が林則夫氏所蔵版の事であれば、安国寺の『明智氏血脈山岸家相伝系図書』と全く同じです。

ついでに系図について言わせていただくと、検討した系図がp.43に②~⑤、pp.59-60に⑧~⑬が載っていますが、最初に「これが本書で科学した(比較検討した)系図です」として、系図の一覧表(系図名、制作年代、出典など)を載せていただきたかった。「①は何か?」としばらく考えさせられたので。

 

PS.表紙は日本刀(明智光秀の愛刀は「明智近景」(尾州長船近景)で、鞘は朱色)。少し抜いているのは「謀叛の兆し」ということかな。