持ちつ持たれつ | 渡辺新之丞覚書

渡辺新之丞覚書

近江佐和山石田家臣、渡辺勘兵衛の徒然雑記。
殿を探して放浪中。

新之丞にございます。

今日も朝から晩までおーつーとーめー!

拙者には連休など関係ないのです。

でも、連休の方を恨めしく思ったりはしませんぞ。羨ましいけど。

何故なら拙者は他の日に休んだり連休とったりしてますからね。

誰かが休んでいる時は誰かが働いている、そうやって人の世は廻っているわけで。

だからお休みの方は目一杯お休みを楽しんでくだされ♪

そして拙者はその日記をみて癒されるのです☆

さて本日はここまでに。

ではでは!

あ、来月は一応7日(日)に関ヶ原に出没しようかと予定を調整しております。

ああ、あともう一つ。

今日は細川越中守忠興殿の奥方殿である細川玉子(がらしゃ)殿の命日(旧暦)でした。

我が殿が周囲の反対を押しきり、大阪城下にいる諸大名の妻子を人質にして大阪城入りさせたのですが…。

玉子殿は人質になるを良しとせず登城を拒否。

切支丹だったため自害は出来ず従者に胸を突かせて果てました。

この悲劇が周囲に伝わると、大名たちは人質を殺されることを恐れて西軍に味方…することなく、逆に三成憎しの怒りに溢れ東軍につく意志を固くした者も多かったそうです。

だからいわんこっちゃない。

拙者は殿の家臣ですが、盲信しているわけではありません。

特にこの件は本当に殿の悪い癖が出てしまった失態でした。

…………。

以上!