先生が心地よく話せること。

生徒さんがスムーズに理解できること。

安心して学べる空間をつくること。

感謝。

謙虚さ。

橋渡しの存在、裏方に徹すること。


心に留めて、感謝して。

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脳みそ  ツカレター!!

まだまだ精進、精進。
やることは、沢山ある。

触れれば、触れるほど
その奥深さを知る。

支えてくれる人に感謝して
けれど甘えずに。

きっと期待してるからこそ
今は待ってくれている。

裏切らず、
そして自分を信じて
また、一歩ずつ。

目の前にあることを
一つずつ。

今日も
ありがとうございます。
全ての周りに感謝して。

ぐっすり眠ろう。


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ゆっくりでいいから。

心と言動を一致させてゆく。 


着たい服を着て、

内側から意志を放つ。

やるべきことを行っていれば

見て欲しいと主張する必要性は減る。


そして、そのようにしていれば

分かるものだと予感している。

目の前にいる相手が

向き合ってゆく相手かどうか。




全ては内にある。




内なる光が輝くことを許してゆく。

のびやかに

しなやかに

たゆたうように生きてゆく。

ヨガを教えるために、遠くからやって来てくれる期間限定の先生。
新しい出会い、新しい学び。
そんな恵まれた環境で続けられるのも、
ずっとずっと継続して教え続けてくれていた身近な先生方のおかげ。

出会いの後に訪れる、しばしの別れ。
それに対して、もちろんしんみりもするけれど
改めて、ずっと側にいてくれる先生、
何年も何年も教え続けて、ヨガができる場所を守り続けてくれた先生への感謝が込み上げてきた。

一日、一日。
ヨガができること。
当たり前のようで、当たり前じゃない。

Commitment するまで10余年。

「ヨガが好き。ヨガを練習したい。」
そう素直に生きるべく、
これまでしがみついてきたものを
手放したことで始まった。

まだまだ手放せる。
もっともっと身軽になれる。

シンプルになる程に、
強く、しなやかに、優しく。

…そのようになれれば、と思う。

一日、一日。
日々、マットに立てる喜び。

愛と感謝を胸に、今日もまた練習をする。

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頭で理解したことが
体験を通して、腑に落ちた。
あとは、実践してゆくのみ。

何かで傷ついた経験から、
今度は自己を守ろうとして
言動を選択するようになる。
すると、神様はそれを『真の望み』なのだと捉え、起こる現実もそのようになる。
しかし、その現実には満たされない。
なぜなら私の『真の望み』は
自分でも気づかない程に深く埋もれていただけだから。

今、それを解き放つとき。

目の前に訪れる小さな選択。
些細なことだけれど、
ひとつひとつ丁寧に
自分の心に確認して選んでゆく。
それは、小さいけれど、大きくて大切なこと。

自分自身を愛で満たしてゆこう。
溢れた愛が周りに伝わるくらいに。

"We can do no great things, only small things with great love." - Mother Teresa

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言葉 < 行動 で伝えていくこと。

穏やかに微笑みをたたえること。

静かに寄り添うこと。

励ましによって「好き」の気持ちを応援すること。

傷つく前に、恐れないこと。

飛び込む勇気を発揮すること。


翌朝のことだった。
練習を終えて、いつものように扉の向こうへ行こうとすると先生がそこにしゃがんで待ち伏せていた。
通り過ぎると、呼び止められた。

「謝る必要はない。
KayoはKayoの練習をしたらよい。
他の人と同じように振る舞おうとしなくてよい。

ある時は怒りが込み上げる中での練習になるかもしれない。
またある時は太陽礼拝だけで帰りたくなる日もあるかもしれない。

そのまま、Kayoの練習をしていいんだよ。
僕はそれでKayoを判断したり、裁いたりしない。」

様々なことが起きた。
些細なことなのに、モヤモヤは大きな顔をして心の真ん中に居座った。

全て根っこは同じだった。
他者にどう思われるか?
認められているか?スゴイと思われているか?
そうでなければ、私には価値がない…。

もう、この思考とサヨナラしよう。

"Yoga is the practice of tolerating the consequences of being yourself. " by Bhagavad Gita.


今朝の練習で、Marichyasana Bか、Cをしている時に過去の記憶が蘇ってきた。
そして、「なぜ私は自分を諦めるようになったのか」についての理由の一つがそこにあることに気がついた。
泣けてきた。
涙を見せたくない反面、涙を流してしまいたい気持ち。
しかし、新しいアーサナをすると言われていた今日。
とにかく進むしかなかった。そこに浸らないようにした。
新しい学びは、集中して行った。
そして、finishingに入ろうと仰向けになった途端に涙腺が緩んだ。
たまらずトイレへ。
顔を洗って仕切り直し。
いざ、続きを!…とすると、先生に "wait!"
バレていた。心配して声をかけてくれたのだ。

数日前にカイロプラクティックで背中を触ってもらい、胸が開きやすかったからかもしれない。

"Yoga is undoing."

師匠から教わった言葉。

こうしてほどかれて、よりシンプルへと近づいてゆくのかな。

素直に生きるということは、
容易くはないけれど、
幸せが広がることでもある。

ただ、私を練習させてくれる
先生達、仲間、そしてその空間に感謝した。

また、一歩ずつ。
亀の歩みを進めるのだ。


楽しもう。
恐れなくてよい。
なぜ、傷つくと思うのか?心癖。

あの頃の私と今の私。
変化している部分もある。

周りも変化する。
皆、変化し続けるのだ。

それなら、私は
在りたい私でいよう。

好きにフォーカスして突き進む。
よりシンプルになる。
より加速する。

自己表現をする。
それこそが自分を大切にすること。

愛と光と感謝を胸に。


当たり前のように
太陽は昇り、沈む。

毎日の行動範囲は限られていて。
挨拶を交わす人々。会話。触れ合い。
繰り返す。


でも、毎日が奇跡であることを覚えていよう。

そして、

「今日もあなたに会えて嬉しいです。」

という気持ちを表現しよう。

毎日、毎日、
表現しよう。

誰に遠慮するでもなく。
素直に、その喜びを表現する。

言葉で、
瞳で、
表情、空気で。

日々を
全力で味わうのだ。