【和訳】Icenetwork記事 | Ode To Daisuke

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フィギュアスケーター、髙橋大輔さんをひっそりと応援しています。

Icenetworkの記事です。

元記事はこちら。
Takahashi: "I don't have a desire to go back"

とりあえず前半のみ和訳しました。
後半も追加しました。

髙橋大輔さんの言葉は、日本語から英訳されたと思われますが
それをさらに和訳したため、
実際の言葉とは異なりますことをご理解の上お読みください。

6/14追記:
元記事に田村明子氏の名前が追加されましたので
訳文も変更しました

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高橋「戻りたいとは思わない」
オリンピック銅メダリストで元世界チャンピオン、急な引退は残念


Takahashi: 'I don't have a desire to go back'
Posted 6/12/15 by Akiko Tamura & Lynn Rutherford, special to icenetwork

髙橋大輔はロングアイランドの町(非公開)に住み英語とダンスを勉強している - 髙橋大輔のインスタグラムより




フィギュアスケートの2015-16シーズンはこれまでの所『バックトゥーザフューチャー』とでも呼びたくなる話題が多い。4月にはパトリック・チャンが、多くの者が想像していた通り、今秋からの競技復帰を表明した。その数週間後には、同じく3度の世界チャンピオンとオリンピック銀メダリストである浅田真央が、現役続行を発表した。またエフゲニー・プルシェンコも競技の世界に戻ると話している。

だが髙橋大輔はそれには加わらない。同時代の選手達がスポットライトの当たる場所に戻る中、彼はそこからさらに離れようとしている。

日本男子初の世界チャンピオンは、4月下旬に祖国を後にした。パフォーマンスによって儲けるチャンスを捨ててまで、ニューヨーク郊外のロングアイランドで静かな生活を送ることを選んだのだ。彼は今アメリカ人家族と共に暮らしており、町の名前は明らかにしたくないそうだ。

高橋の滞在先の周辺にはいくつかの名の知れたスケートリンクがあるが、彼は氷に乗るつもりはない。彼のエージェント、Tak Ihara(井原氏)によれば、彼はスケート靴を日本へ置いて来たとのことである。その代わり、彼は現地の大学に入学し英語を学んでいる。


「次の目標が何になるかまだ分からない」と語る高橋は、インタビューもほとんど断っている。「これまでの競技人生より、これからの人生の方がもっともっと長いということは分かっている。だから自分の新たな人生を送るための別の情熱を見つける必要がある」

今のところ、彼が著名人としてのステータスを示したのはたった一度である。数週間前、リステリンジャパンのコマーシャルをマンハッタンで撮影したのだ。日本のファンに自分の新生活を垣間見てもらえるのではないか、と高橋は願う。

28歳の彼がトライ・ステート・エリア(訳注:ニューヨーク州、コネチカット州、ニュージャージー州が集まるニューヨーク首都圏のこと)に住むのはこれで2度目だ。2005年の春、ニコライ・モロゾフに師事するためニュージャージー州ハッケンサックに移り住んだことがあった。ロシア人コーチは彼をブロードウェイ・ダンス・センターのヒップホップクラスに連れて行き、ダンスへの興味に火を点けた。その結果があの伝説とも言えるショートプログラムで、チャイコフスキーの白鳥の湖のヒップホップバージョンを使ったプログラムに、人々は愛着を持って「サイバースワン」とあだ名をつけた。

高橋がハッケンサック時代を懐かしく思っていることはたしかだ。当時彼は関西大学の通信講座を受講しながら、自転車でリンクと自宅を往復するシンプルライフを送っていた。

「ニューヨークを選んだのは、昔ここでダンスを習ったことがあったから」と彼は話した。

彼がモロゾフの元を離れたのは2008年。彼の最大の日本人ライバル選手である織田信成のコーチになることを、彼に事前に相談することなく決めた後のことだ。2012年にモロゾフは井原に和解を持ちかけ、以来髙橋の最後の試合となった2014年の冬期オリンピックまでタッグを組むこととなった。

髙橋は現役引退を悔やんではいないが、もう少し別のやり方があったのではないかとも語る。長年怪我に苦しんだ。2008年に右膝前十字靭帯を断裂、再建手術を受けた。2011年5月にも膝に埋め込まれたボルトを抜くためにメスを入れた。そしてオリンピック前に再び悪化した古傷のために練習時間を制限することを余儀なくされ、4回転トーループの精度にも影響した。

ソチで6位という成績を残した後、日本の埼玉で行われた2014年世界フィギュアスケート選手権を棄権した。2014-15シーズンは休養することを表明したが、ほどなく引退を発表した。

「けっこう急な決断だった。最初は1年か2年かけて競技を続けるか続けないかゆっくり考えるつもりだった。だが中途半端でもやもやした感じが好きではなく、一度はっきりと線を引いてから次に進むことを決めた」

そして2014年10月、彼の故郷倉敷にほど近い岡山市にて、彼は5度の全日本優勝、2010年オリンピック銅メダル、そして2010年世界選手権優勝を含む競技人生の幕を下ろしたのだった。

「ファンの方々にとっては、突然のことで心の準備ができていなかったことと思う」と髙橋は話す。「競技の場できちんと自分の『最後の』演技をお見せする機会を持てず、突然引退してしまったことをファンの皆さんにお詫びしたい」

ニューヨークには最低でも1年は滞在する予定で、英語を流暢に話せるようになりたいとのこと。彼はすでに英語を非常に良く理解できるのだが、自分で話すことに躊躇してしまうことがあるという。また、マンハッタンでダンスのクラスも受ける予定だそうだ。

「ソチオリンピックの後、アメリカで英語を学びたいと考え始めた。性格的に新しいことにオープンな方ではないので、もし本当に成長したいと思ったら自分が安心できるゾーンの外に身を置かないとだめだと思った。また、競技人生で出会った多くのスケーター達と、もっとコミュニケーションを取れるようになりたい」

現在のところ、ダンスのクラスは楽しむため、知識を増やすためだと言う。少なくとも今はまだ、振付師になる予定はないそうだ。

「将来何をしたいのか、本当にまだ分からない。見つけるのはたやすいことではないと思う。英語とダンスを勉強した後で、何か新しい道が開けたらいいなと思っている」

引退を表明してから7ヶ月が経つが、髙橋の心に悔いはない。

「もっと試合が恋しくなるかと思ったけれど、今のところ戻りたいという気持ちはない。僕の気持ちはつねに前を向いている。後ろは振り返らない」


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出かける時間になってしまったのでまたのちほど~

一応全部翻訳してみましたが、新情報としてはロングアイランドに滞在、
ということのみのようですね。
他の部分はすでに出ている情報を英訳したものと、
マネージャーさんとお話しされたと思われます。

(髙橋さんご本人にインタビューされたのか、
記者の方のツイッター宛に質問してみましたが
今のところお返事はありません)

ちなみにロングアイランドは私も数年間住んでいたことがありますが
端から端まで、車でハイウェイを飛ばしても3時間以上かかる
文字通りなが~~~い島です。
それぞれの町ごとに雰囲気も違いますが
大体どこも綺麗で落ち着いた、良いところです♪
東の先端のモントークまで行くと
ゴツゴツした岩の上にぽつんと灯台があり、
「地の果てまで来た」感がひしひしと(笑)

大ちゃんがどの辺りに滞在しているかは分かりませんが
美味しいシーフードでも食べて
のんびり、ゆっくり、勉強に集中できているといいな。

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