【和訳】DT Road to Sochiさんのインタビュー記事 (2)ライラックワインと「間」 | Ode To Daisuke

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フィギュアスケーター、髙橋大輔さんをひっそりと応援しています。

前回の続きです。

元記事はこちらから。
https://www.facebook.com/DaisukeTakahashiRoadtoSochi/


D: 髙橋大輔
Q:  DTRtS

---- (  で始まる箇所は
DTRtSさんが後から書かれたもので
インタビュー時の会話ではありません。


*************

(訳注:前回の(1)ラクリモーサのすぐ続きにあたる部分です)

Q: つい最近トロントでジェフリー・バトルと一緒に振付をしたそうですが(注:ジェフ・バックリー『ライラック・ワイン』を使った新しいプログラムの振付)彼と仕事をするのはいかがでしたか?


D: とても良い経験でした。彼はとてもクリエイティブだし、僕がずっと好きなスケーターでもあるんです。


    ---- (そして彼はこの時そっと私の前に「間」というコンセプトを投げかけたのです)


D: 「間」って何て言うんでしょう?(日本人の方を向きながら)


    ---- (私達を助けてくれていた親切なレポーターが、「間」とは日本人の間でよく使われる表現だとすぐに説明してくれました。

音と音のあいだの、一瞬の静寂。

何も無い空間、休みではあるが、何かしら意味のあることで埋められる、音の合間の静寂。
静けさの持つ美しさと大切さ。

言葉では語られない?意味のある静寂?
ちょっと待って!

私達のこの会話はすべて「間」なのではないかしら?彼は、語る言葉よりも「語らないこと」により重要な意味を持たせているのだから。
ああ、Dai、分かったわ!)


    ---- (「間」という観念はさまざまな場面に当てはまる。音楽においての「間」は、静寂の瞬間、無、つまり空間や時間のはざまが、何らかの動きによって意味を持つことなのだと思う。そしてダイスケはジェフリー・バトルについて次のように語ってくれたのです)


D: 僕は彼の音楽での「間」の取り方が心地よかった。彼の「間」が好きなんです。


    ---- (たぶん理解できたとは思うのですが、この日本の「間」というコンセプトはその時その場で私が完全に理解するには深すぎました。もし理解できた時に再び『ライラック・ワイン』を滑る彼を観れば、きっと以前には分からなかった何かを発見するのでしょう。

そしてさらに考えを巡らすと、「間」というのはダイスケ自身のアートそのものではないか、彼は今そのことについて話しているのではないか、との思いがよぎります。でもきっとそれは私の考え過ぎですね。。。

とにかく、私は「間」を教えてくれた彼を抱きしめたい気持ちで一杯になりました。さいわいにその衝動は抑えることができましたが)


Q: 音楽を選んだのはジェフリーですか?それともあなたが?


D: 彼です。ジェフリーが選びました。


Q: 今までとはまったく違う雰囲気の曲だと思う人もいましたが・・・


D: そうだと思います。ラクリモーサもそうですが、こういう感じの曲をやってみることができて楽しかったです。前は(当初は)新しいとは思っていなかったんですが、ショーで滑ってみて初めて「あ、これは自分にとって新しいな」というふうに感じました。


ようわからん!英語がしゃべれないです。

もう英語(の話し方)を忘れてしまって。すみません、ヘタで。


    ---- (いえいえ、大丈夫ですよ!そう言って、いつものように謙遜する彼に胸が締め付けられ、再び抱きしめたい衝動にかられましたが、再びガマン)

(後略)

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つづきます。







衝動を抑えるのが大変なDTRtSさん(笑)


余談ですが、、、



以前、武満徹の曲を習っていた時
恩師(イギリス人)に
「あなたは"ma"を知っていますか?」
と、楽譜に大きく

  M A

と書かれたことがありました。
そのすこし前に日本を訪問され
能の舞台に感激したとのことでした。

「ヨーヨー・マのことじゃないですよ」
とすかさずジョークを飛ばすような先生でしたが。


映画音楽も多く手がけた武満ですが
映画音楽はとくに、「余白」の部分が大切だと著書にあります。
あまり作り込んでしまうと、
映像やセリフと交わる余地がなくなるということです。

大ちゃんのスケートも
余白のある音楽の方がより活きるような気がします。
音と音のあいだを感じながらそこを表現することができる。
むしろ、そこに彼の凄みがあると思っているので。

彼が武満の曲を滑ったらどうなるか
ちょっと見てみたいです♪