こんにちは!

 

 

東京は最近突然暑くなりましたね〜〜

 

 

朝は少しあたたかいというくらいなので一応それなりに厚着をして外出すると、

 

昼間は暑すぎて4月にして熱中症になりそうですw

 

 

 

 

ところで学部に内定してから半年が経って、とうとう3年生になってしまい、

 

せっかく入った東大での生活も次第に終わりが近づいているのだなあと思うとなんだか寂しく感じています。

 

 

学部生のカリキュラムが終わりに近づくにつれ、授業はどんどん専門性が増してきています

 

ここでしか学べないことを座学で学び、実習によって全身体で体験するということには非常に満足しています

 

専門性が高くなればなるほど、東大に入って良かったと思えるんですよね

 

 

非常に価値の高い経験をさせてもらえているんだな〜ということは一つのモチベーションにもなっています

 

ここでしかできない体験をしている事実によって、それだけでこの勉強をすることのある面での価値が保証されているので、

 

今まで多くの時間を無駄なことに費やしてしまった自分には非常にありがたく感じられます

 

 

 

 

 

今期は専門の薬学の授業だけでなく、工学部の数学の授業や理学部情報学科の授業なども履修をしたり、

 

コマの関係で履修できない授業の講義資料やオンデマンド動画を見たりして、

 

専門以外の科目もたくさん勉強していて非常に満足しています(そのせいでいまのところ週22コマになっていますが)

 

 

 

しかし同時にこれに満足している自分はやはり専門だけに絞った勉強はできないんだなと思っています

 

こういう興味ある勉強を好き勝手にとっていることを教養を深めていると表現するのは正しくないかもしれませんが、

 

いままで教養学部で勉強してきて、正直履修する意味がよくわからないような授業でも楽しんできた自分は、

 

さまざまな勉強をビュッフェ形式でとっていくのが好きなんだなと改めて思います

 

 

 

 

 

 

しかし幅広く学ぶことと専門性を高めていくこととはどうしても表裏一体というか、同時には達成し得ないことなんですよね

 

というのは、時間という制約から全ての分野を高い専門性を維持したまま学習するのは難しい、難しいを超えて無理と表現するというのが正しいと思います

 

 

 

いまはこうやって専門を軸に据えながら、さまざまな勉強を周辺に置いていくようなイメージで、バランスのよい食事を摂ることができているわけですが、

 

これから学年が上がり専門性がより高くなっていけば、そういうこともできなくなる

 

迫り来る専門性という暴力にこの一身だけで抗わなければならないわけです

 

 

 

均衡を保っていられるうちはいいのですが、

 

いまでも十分その破綻が近づくのを、1限から5限まで授業を受けることによる体力の消耗という物理的な形で感じています

 

やりたいこと・やらねばならぬことが自分のキャパシティを超えてしまうこと。

 

この不安に怯えながら毎日暮らしています

 

 

 

溢れ出るほどのタスクでその不安を洗い流して精神的には安定させているわけですが、

 

心のどこかでいつか崩壊するのではないかという漠然とした思いは常に頭にはあるわけで、

 

日常に溢れるさほど気にもならないような凹凸がたちまち分水嶺となることがあります

 

 

 

 

いま学部で学んでいることには非常に満足していて、この勉強ももっと深めていきたいと思いつつ、

 

どうしても今まで好きだった数学や情報科学、物理学への愛を捨てられずいます

 

 

別に捨てる必要もないですが、どうしても生物系というのは体育会系というか限界まで暗記などをさせるようなところですから、

 

捨てるまでは行かなくても、どんどんその勉強に割ける領域は減らされていくわけで、

 

日々苦しめられています。

 

 

 

 

 

いっそのこと"いま"自分がやりたい勉強ができる学科に転学科をしてもいいかなとも考えるのですが、

 

転学科をすると1留してしまうことになり、それが一つ歳を重ねてまでするべきことなのかという問いと、

 

せっかくここまで積み上げてきた同期との人間関係が希薄になってしまうことを考えると、

 

そこまでの価値を自分の中で見出せないという状況にあります

 

 

 

それにそっちにいってしまえば、こっちでやっていることはできなくなるわけで、

 

あくまで隣の芝は青いというやつで、実際には構造はほぼ対称なんですよね

 

 

 

 

日々このような妄想を頭の中で展開していて、、

 

なにか決定打となるものを探し歩いているという感じです

 

しかしその失くしものは見つからないほうがいいのかもしれませんね。

 

 

 

こうやってああだこうだと波のように行ったり来たりしているときが最もどこにも偏らず、

 

幅広くかつ深く学びたいという自分の願望に近づいているのかなと思います。

 

 

しかし何も答えが出ない状況では、どうしても不安になってしまうわけで、

 

悩まない程度に局所的な答えを時々見つけてあげるといいのかもしれません。

 

 

 

 

 

そのときその鍵となるのは結局人や社会であるという気がしていて、

 

自分の目標としたくなるようなかっこいい人が目の前に現れたら、やはりそっちの方向に向いていき、

 

その逆も然り、

 

そういうような自分の外部、社会的な要因によって、自分の内部は大きく影響を受け、

 

 

内面はむしろ外部によって構成されていくのだと思います。

 

人間はポリス的動物なので。

 

 

 

 

 

春休みに1人でこもって勉強を続けていた時に比べて、

 

人に導いてもらいながら勉強をするほうが、やはり効率もいいし勉強になるなあと感じています

 

 

しかしそれは教える側が自分の上位互換という意味ではなくて、

 

さまざまな面において互いの得手不得手を補って補われるような、相互的な関係を築いていくことができるのが大学という土壌であり、

 

東京大学という素晴らしい土壌で出会った仲間たちは簡単には手放したくない気持ちがあります

 

 

 

 

 

コロナ禍でこのような土壌は枯れてしまい、1年半この素晴らしさに気づけませんでした。

 

 

これは大きな損失であったとともに、しかしこれのおかげでいままでそしてこれから形成されていく人間関係の貴重さに気づかされた良い体験になったと思います。

 

それにしては1年半という対価は大きすぎると思いますが笑

 

 

 

 

 

なんだかまたまとまらない記事になってきましたが、

 

 

東大学部生でいられる残された2年間という時間をうまく活用することを目標にしたいと宣言したところで、

 

 

3年生になって最初のブログ記事を終わりたいと思います。

 

 

 

 

 

 

冒頭でも触れたように季節の変わり目で体調を崩しやすい時期ですが、

 

新しいことを始めるのにもってこいの時期ですから、体調には気をつけながらお互いに精一杯生きていきましょう!

 

 

では!!!

 

 

 

 

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