配属前夜。

 

 

 

2023年2月9日夕刻。

 

 

 

人によってはもう夕餉を愉しんでいる時間でもあれば、人混みの電車に揺られながら家路を急ぐ時間かもしれない。

 

 

しかし私にとっては研究室配属の前夜以外の何者でもない時である。

 

 

 

 

 

 

理系の大学生はだいたい4年次になると、通常の講義が減り研究室で多くの時間を過ごすことになる。

 

 

研究室に配属される、研究室が決まるというのは自分の専門が決まるのであるから、研究室配属は人生の岐路と言っても良い。

 

 

全員が好きな研究室を選べればあとは一人でじっくり悩めば良いのだが、

 

研究室だって物理的な容積があるわけで、教授が見れる人数の限界もあって、定員が決まっている。

 

 

そうしたら、希望してる人数が定員を超えたらどうなるのかという話だが、

 

 

結局単純な方法に頼るしかなくて、抽選で決めることになるわけである。

 

 

 

 

 

 

悲しいことに自分が行きたいと思うところは、他人も行きたいと思うようで、

 

 

明日は籤を引くことになった。

 

 

あまり気は進まない。

 

 

 

この話は別に今日突然始まったわけでなくて、11月ごろから徐々にはじまっていた。

 

 

それから今までどれくらい熾烈な争いが繰り広げられていたかというと、

 

 

事前調査の段階で、読み合いが起こって、

 

志望をあっちにしたりこっちにしたり、という人が現れた。

 

 

中には精神が乱れる人や体調を崩す人もいた

 

 

 

そんな戦いの集大成が明日ある。

 

 

 

 

 

ついこの間までは「そんなこと考えても無駄だ、なるようになる」と思っていたが、

 

 

いまは気持ちが落ち着かなくなるほど考えている人のことが、ちょっとだけわかるような気がする。

 

 

 

 

 

 

道ですれ違う中学生がうらやましい。

 

 

こんなに闇のつまった人生を知らなくて、まだ清い心で生きている。

 

 

自分にもあんな時があったなあ。塾に行かねばならないのに小一時間友人と道草食ってたとき。

 

 

あの頃はただ怠惰な日々と思っていたけど、ああいう日常があとで振り返ると一番の幸せなんだよ

 

 

 

 

 

 

 

 

明日が来るのが怖い。

 

 

くじを引いたら、自分が落ちるのももちろん嫌だけど、それ以上に

 

 

友人が落ちるのを見るのがつらい。

 

 

だって1年間ずっと一緒につらい授業もつらい課題もつらい実験もつらい試験もすべて乗り越えてきた仲間だよ?

 

 

誰一人逃げることなく、みんなで乗り越えてきたじゃないか。

 

 

なぜその中から夢を諦めなければいけない人が現れるのか。

 

 

その不条理が気に入らない。

 

 

 

 

 

 

 

しかしもっと気に入らないのはこういう綺麗事を書いている自分自身なのかもしれない。

 

 

そんなに人が落ちるのが見たくないなら、お前が諦めれば?

 

 

 

...

 

 

......

 

 

ここで思考が止まる。何も言えなくなる。

 

 

 

本当はやっぱり自分の希望が一番通ってほしい.....他人なんかどうでもいいと内心思っている

 

 

 

でも綺麗事を書いていないと、心が落ち着かなくて。

 

目の前の現実を直視するのが怖くて。

 

 

本当は人間なんて欲望の塊なんだよ。

 

 

 

 

 

ごめんなさい。

 

 

 

 

 

籤で決めるなんてあんまりだって思ってた。もっと他のもので評価できないかと思ってた。けど、

 

そんなのただの飾りで、本当は自分の頑張りを見てほしいだけ。自分に有利なバイアスかけたいだけ。

 

 

だから完璧に公平な籤って言われると、いやだ。逃げたくなる。

 

 

 

 

 

でもね、

 

 

さっきすれ違った、あの談笑しながら歩いている中学生。

 

あの時から自分は確実に前に進んでいる。

 

 

学区から一人で出たこともない中学生生活だったけど、

 

一人で遠出もできるようになったし、大学受験だって乗り越えた。

 

 

 

 

失敗だらけの人生だけど、今日いまここを生きられているんだよね。

 

 

だから、今度も絶対うまく行くってどこかで思ってる。

 

 

 

 

うまく行くって信じてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな思索に耽りながら下り坂を歩いていると、別の道から出てきた例の中学生3人組をまた見かける。

 

 

あのときがあったからこそいまの自分がいる。あそこから進んでいる。

 

 

 

 

 

曲がり角でかたまってわちゃわちゃと楽しそうに笑っている彼ら。そこからは帰り道が違うのだろうか。

 

 

 

彼らを追い越す。

 

交差した時空が個々に収斂していく。

 

 

 

 

 

明日は私が勝ちのくじを引く。あの場所にいるのは私だ。

 

 

 

そんな場面が浮かぶ。それも高度に現実味を伴って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日は勝ってきます。