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TAKAHIRO OKUYAMA 奥山高弘のブログ

日々の出来事を気まぐれに書いてます。
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渋谷で軽くトレーニング🏋️

サウナ上がって

外へ出ると

今夜も

🌕綺麗♪🤩





午前中ガッツリ筋トレ🏋️💪

若くないのであちこち故障してます。

だけどやめられないもうかれこれ25年位

やってます。

ベンチプレスのMAX145㌔挙げてたのは、

そんな昔の事では、ありません

現在は、110〜120

本日久々に120挙がりました。


お昼は、弊社近くの大明飯店さんで

生姜焼き定食頂きました♪😋

今年2023年ももう残り約1ヶ月

もう少し仕事しないと

年末の支払いキツイね😓


今日旅先から帰宅


玄関🚪ドアに思い切り左手小指挟んで

ちょん切れた

思いきや

ついてました

みるみる🟣に腫れ上がり

血が🩸止まらんので

絆創膏🩹で止血

指先の感覚麻痺してきました😅



今週土曜日の準備整いました。

関係者様

よろしくお願い申し上げます。

#書類準備

 

 

 

健康保険料

PayPayで支払う

バーコード読込うまくいかず

20分かかる

コンビニで支払う方が早い

使いはじめると

意地でもやる

新しいことは、覚える

まで時間かかる⏰

でも

最近コーポレートカード💳🪪以外

PayPay使えるところ

はこれで

月に300万円使えるので

あれば『実際そんな使わない』

段々クレカ💳要らなく

なる

財布膨らまない

小銭🪙使わない

なので

早く慣れないと

ところでマイナンバーカードに現金💸💵💴

チャージして何処も使え

るようにしてくれたら

非常に使い勝手が良い⭕️

と思います。

使い過ぎる事も無い

クレカブラックリストの人も🆘助かる

税金ばら撒きやめて

こんなインフラ整備して

下さいな国の負担で

もうそろそろクレカの

時代も終わる気配あるし

色々な決済方法使わない

で完結出来たら良いね

電車🚃バス🚌タクシー🚖ETCも全部一括決済

買物や飲食に至るまで

全部だ

消費喚起策になるよ

怠け者の閣僚や官僚

そんな頭は、ないのね

竹中平蔵さんあたりが

進言して欲しいね

インボイスとかつまらないことは、やるけど

国民の利便性を考えてよね。

因みにこの方法キャッシュレス化進んで

貨幣🪙紙幣💴作らない

から国のコストも削減

出来ますよ🤗

#奥山高弘


小腹減ったんで冷蔵庫の野菜適当にぶち込んで

こんにゃく無かったので

しらたき

豚汁❓作りました。

豚汁にゴーヤ

何とも😋ぞ♪



おはようございます。

このたとえ話のポイントの一つは、必死に探しているのは誰か、ということです。必死に探しているのは、迷い出た一匹の羊ではなく、羊飼いです。羊飼いが迷い出た羊を探しています。迷い出た羊は、たとえば、「見つけてもらうために努力した」など、何らかのアクションを起こした形跡がありません。一方、羊飼いのほうですが、あの迷い出た羊はこういう優秀な羊だから探そうなど、羊について何か条件を付けることもありません。つまり、羊はまったくの受け身、無条件です。
このたとえにおいて、羊飼いは神を意味します。そして、羊は私たち人間です。つまり、この物語のポイントは、探しているのは、迷い出た私たち人間ではなく、あくまでも羊飼い、すなわち神である、ということです。
私たち人間は、たとえば、どのようにして神を見つけることができるか、あるいは、どうしたら神に救われるか、と考えがちなところがあります。これは、自分たちが神を探す側にいると思っているからだと言えます。しかし、このたとえの構造はそうなっていません。このたとえの中においては、探しているのはあくまでも羊飼い、すなわち神です。私たち人間が、神を見つけるのではなく、神が私たちを見つける、ということです。私たちは、見つける側ではなく、見つけもらう側にいるわけです。

ここで示されている神の姿とは、何があろうと、徹底して私たち人間を探し出す神、神から離れたと思い込んでいる人を見つけ出す神、少数の立場においやられた人の立場に立とうとする神です。

イエスは、貧しさや不治の病などの理由で、当時、罪人とされていた一人一人を探し出し、一緒に食事をしました。イエスは、一緒に食事をすることで、その人の尊厳が回復されていくということを、何よりも喜びとしました。そのようにしてイエスは、罪人とされた人々との深い交わりを続け、その結果イエス自身も罪人と断罪され、十字架で処刑されるに至りました。それほどまでに、イエスは、自分の生死をも顧みず、一人一人を探し続けました。
このように、聖書が示す神は、私たち一人一人を、とりわけ、弱い立場にある人々を、無条件に、徹底して愛し、探し続ける神です。
先ほどお読みしました箇所に、羊飼いが羊を見つけたら、「喜んでその羊を担いで、家に帰り」とあります。羊飼いが羊を肩に担いだように、神が私たちを見つけた時、喜んで私たちを担いでくださるわけです。その時、それを一番喜んでいるのは、このたとえにあるように、他でもない神自身です。
神自身が、常に私たちを探し続け、そして、私たちを見つけることを喜びとしてくださっていることを覚えたいと思います。