言語が他者とコミュニケーションを取るために発明されたという説もあるが、そうではなく人が自らの頭の中で内的に思考するために創発されたという説のほうが興味深い。

人は、悔しさや後悔や憤りなど、自らの胸の内にそっと秘めて抱いておくよりも、何とかしてその無性に高ぶる気持ち・葛藤を収めたい・鎮めたい・整理したい・昇華したいという本能がある。その本能が思考を生み出したんだと思う。もし、思考がなかったら、高ぶる気持ち・葛藤をどう収めるだろうか?自然界の動物、たとえば牛が自分の子どもを熊に襲われたとしたら、目の前で我が子を殺されながら助けることもできずただ呆然と立ち尽くすだけだろうし、時間の経過とともに段々記憶は薄れ、とにかくいつもの生の営みを死ぬまで繰り返していくだけだろう。

人はそんななす術なく黙って見てるだけ、では終わらない。感情が爆発し、思考が誕生したのだ!