アインシュタインは視覚的に物事をイメージするタイプで何かを思案する時にはバイオリンを演奏して精神を集中させたらしいが、熱い想いを何らかの形に昇華させたいときに、歌や楽器演奏などもいいのかもしれない。しかし、とにかく、言葉があると、自分の気持ち考えを言語化できて、すこし心が落ち着くであろう。
自分自身の行動の不合理さも自覚しなければいけない
この世界や人々の様子がおかしいことに気づいたら、今度は自分自身の行動も同じように非合理的だということに気が付かなければいけない。
すべての行動一つ一つをはたして理にかなっているかどうか検討しなければいけない。
例えば、食べるという行為。下手をすると暴飲暴食過食してしまうように。
とくに、楽しみでやる行為の不合理さを認識する必要があるだろう。
ただ何となく楽しいからという理由で行うのは、まるでアヘンで堕落した人間の言い分と変わらない。
この魂が
肉体から抜け出て、体外離脱して、しかも空高く浮揚したり、遠くへ素早く移動できたりしたら、とてつもなく革命的なことだろう。
もしくは、体外離脱して、それが肉体の慢性的な持病・疼痛から解放されたら、もはや、それだけでいいという人がほとんどになるかもしれない。それで、食事も摂らず、浮遊し続けるのを選んで、死ぬことになっても。夢の中の厚かましい自分も同じ自分として認めなければいけないか?
夢を見てて、いつもの現実の自分では躊躇ってしまうようなことを大胆にもやってしまっている厚かましい自分を、夢を見てる自分は自分だと認識している。
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経験してない未来の体験や記憶を共有できない自分を同じ自分として認められるものだろうか?
過去の自分たちに会ったときに、その過去の自分たちは今の自分を見て、同じ自分だという実感は得られないだろう。
自分とは何か???
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この世界や人々の様子がおかしいことに気づいたら、今度は自分自身の行動も同じように非合理的だということに気が付かなければいけない。
すべての行動一つ一つをはたして理にかなっているかどうか検討しなければいけない。
例えば、食べるという行為。下手をすると暴飲暴食過食してしまうように。
とくに、楽しみでやる行為の不合理さを認識する必要があるだろう。
ただ何となく楽しいからという理由で行うのは、まるでアヘンで堕落した人間の言い分と変わらない。
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