出口にもセンサーがあり、忘れていた天保銭は思わず足が止まってしまいましたが、気を取り直し前進。
“文芸の郷”から桑實寺、観音寺城跡、観音正寺を経て石寺楽市へ通じる道はハイキングコースになっていて、ここから先は山道が続きます。
観音寺城跡のある繖(きぬがさ)山は標高432.9メートル。中腹からは徐々に雪が目立つようになってきました。
積雪は踝ぐらいまであり、石垣や土塁などの遺構もほとんど雪に隠れてしまっています。
時期を間違えたか・・・と思いながらも、引き返す気力もなく雪に足を取られながら前進を続けること小一時間。
通常の所要時間の倍ほどかかり、ようやく山頂に到着です。
こちらの食い違い虎口跡がなければ、どちらに本丸跡があるのかわからなくなるところでした。
本丸跡もご覧のような雪野原。
観音寺城は『太平記』にも記述のあるほど古くから存在し、六角氏滅亡後は安土城の支城となり、本能寺の変後、安土城とともに歴史から姿を消していった城郭でして。
城として機能していた期間も長く、交通の要衝にあったため、1000以上の曲輪を擁する日本屈指の規模の山城となっておりました。
登城口も10以上確認されており、遺構も山全体に散らばっているのですが、この雪では未整備のマイナーな道筋に降りることもかなわず。
平井丸の潜り門なども興味はあったのですが、低いとはいえ雪山での単独行。
転んで動けなくなっても洒落になりません。
大人しく最も整備されている観音正寺へ続く大手口から下山することに。
こちらは石段もしっかりしていて、何より南に向いているため積雪が少なく歩きやすい。
レンタル自転車を選択していたら、桑實寺の石段下まで悪路を引き返すところだった・・・などと思いながら、空腹を抱え一路観音正寺を目指すのでした。