縁起によると聖徳太子がこの地を訪れた際、人魚に出会い、その願いによって建立したもので、推古天皇13年(605年)の創建とのこと。
こちらのお寺さんには、その人魚のミイラなるものが伝わっていたのですが、平成5年(1993年)の火事で焼失。本堂も焼け、現在のものは平成16年(2004年)に再建されたもの。
御本尊の千手観音坐像もその際に新たに造立されたものですが、住職のご尽力によりインドから禁輸品の白檀を特例で輸入し用いているそうです。
以前の本堂は彦根城の欅御殿を移築したものだったとか・・・こちらも拝見したかったものです。
観音正寺さんは、昔から縁結びに霊験あらたかなお寺さんだそうでして、縁結びの祈祷道場として信仰を集めていたそうです。
・・・縁結びの道場。古来より良縁に巡り会うというのは難しいものだったようで。
本堂右手の岩山に縁結び地蔵尊があり、2体のお地蔵様が安置されています。
観音寺城の大手口でもあったため、桑實寺側の石段よりは広く、登りやすそうな印象。
冬季以外は中腹まで車で登れるようですが、そこからでも結構な段、登らなければなりません。
参道を少しそれたところにあった六角氏の館跡。
繖(きぬがさ)山の麓に位置し、石寺城下町も目と鼻の先。平時はここに居を据え、一帯を支配していたのでしょう。
現在は天満宮の祠が建っておりますが、あまり訪れる人もいない様子。
城下の石寺は日本で最初に“楽市”が開かれた場所で、現在では土産物店があるということだったのですが・・・冬季閉鎖中。
他に店舗もなく、ここでも食事はお預け。
空腹を抱えたまま、安土駅まで1時間余り歩くことに。
写真は繖(きぬがさ)山。貴人が用いる衣笠のようにふんわりとした山容からその名がついたそうですが、確かに麓から見ると山というより小高い丘といった感じ。
この程度でこれだけしんどいとは・・・やはり山は舐めてかかってはいけません。