沖縄にある百名城は首里城跡のほか、中城城跡と今帰仁城跡の2つなのですが、この3城のほか勝連城跡、座喜味城跡らを含め、「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として世界遺産登録されています。


そうそう沖縄に来ることもないので、世界遺産全てを観て回る時間はないものの、せめて城だけでもと、中城城跡に続き、勝連城跡、座喜味城跡と城の梯子をすることに。
勝連城跡全景
勝連城跡は沖縄本島の中部東海岸、勝連半島の付け根の丘陵地に位置し、中城湾を挟み中城と向き合う形。


世界遺産に指定されているグスクの中では最も古く13世紀頃に建てられ、15世紀中頃に名君・阿麻和利の下、最盛期を迎えたとのこと。


阿麻和利は琉球王国に反旗を翻し、名将の誉れ高い中城の城主・護佐丸を倒したものの首里城からの大軍に攻められ陥落。


・・・と、城にまつわる話としてはありがちな展開なのですが、一説によると、阿麻和利、護佐丸、二人の力を恐れた琉球王府の陰謀があったとか。


掘り下げてみると、興味深い話が出てくるかもしれません。三の曲輪への階段


城下町のあった四の曲輪と三の曲輪の高低差は20mほどあり、細い階段で繋がっています。


首里城の軍勢との戦いの際には、王府の大軍をここで三日三晩足止めさせたとの言い伝えも残っているそうです。


現在は歩きやすいように木製の階段が整備されていますが、それでも中々に険しい。


まさに要害といった感があります。

一の曲輪からの眺望
一の曲輪から二の曲輪、三の曲輪を見下ろした様子。


先ほどの階段を抜けても、三の曲輪、二の曲輪と一つずつ抜かなければ先に進めない構造になっていて、攻め込んだ王府軍もさぞ難儀したのではないかと。


こちらも中城同様、曲線を用いた城郭です。


どうもグスクでは曲線が一般的な模様・・・地形による必然なのか、他に何か理由があるのか。


この辺も興味深いところです。