どうも、都筑です。
紅白もやはり(むしろ当然というべき展開として)辞退しましたね、あのグループ。
そらそうでしょ。
既に「どう見ても明らかなほど」グループの「命脈は尽きていた」わけですからね。
看板番組の年内最終回の同時生出演もなしという。
そらそうでしょ。彼らは人間です。偶像でもおもちゃでもなんでもないんです。
それも社会人に当てはめると個々が組織の中軸に居てもおかしくない年齢です。
ファンと呼ばれる種族の人たちがどう思っているのかは知りませんが、アサヒコムの記事にある50代女性の言葉からは彼らを人間扱いせず「おもちゃにしている」発言が垣間見えます。
引用しましょう。
> 「再び5人で活動できるときまで諦めない」と話すのは、デビュー当時からのファンという会社員の女性(52)=東京都世田谷区。「紅白はともかく、自分たちの番組『SMAP×SMAP』(スマスマ)には生出演して、解散を撤回してくれないかなと心のどこかで思っている」
メンバー5人を「人間としてみていなくてSMAPというおもちゃの部品」としてしか見ていないことが明々白々です。
彼ら5人が(ある一人を別にして)「構成部品として生きることを人間として拒絶」しているのに、「部品は部品らしくあれ」と言っているわけです。これがどれだけ彼らを侮辱している発言でしょうか。「部品としてしか生きる道を見いだせていない約一名」は別です。彼は「SMAPの」という名札がついて活きるタイプですから、女房が半狂乱になって問題をでかくしたのもうなずけます。
ファンは「そんなことない!」というかもしれません。しかし、上記に見られる言動の数々は彼らをあくまでも「SMAPの~」としてしか見ていないのです。それを当人達が拒絶しているのにもかかわらずそれを望む…普通の人間関係からすればストーカーみたいなものですよ。何故かそれを至極当然のことであるかのように「ファンの声」という看板を付けて公にする…これってファンですかね?果たして。嫌がる女性に「好きだから」と「つきまとってしまっている」男性は尽く非難の対象になりますが、この手の「対象を人間扱いすらしていない」人たちの「異常なまでの執着」が非難の対象にならないのは何故でしょうね。直接行動していないからでしょうか。俺にはこの2つの違いが全くわかりません。「本質的には同じでしょ」という一点においてです。
さらに記事ではこんな笑止千万のことが書かれています。
> 歌詞には「大事なのは続けること」「楽しいだけでいれない時も」「僕らずっと共に歩こう」などの言葉が並ぶ。女性は「解散を巡る騒動で特別になった曲。存続を願うファンだけでなく、メンバーの思いも代弁されていると感じる」と話す。
これ、彼らの代表曲の歌詞ですが、作ったのは曲を提供したミュージシャンの方で、彼らの誰ひとりとして歌詞の制作には関与していません。したがって彼らメンバーのメッセージなどどこにもありません。むしろ、提供したミュージシャンが自身のライブで熱唱してるくらいなので、「彼」や「彼女」のメッセージと見るべきでしょう。「代弁してる」とはどういう思い込みから出てくる発言でしょうね。
彼らのデビューの頃の年齢は中学生でした。最年少メンバーは小学生です。で、この記事の五十路の女性は20歳前後ということになります。つまり、感覚的には「坊や達を見ている大学生のお姉さん」という感覚からちっとも逸脱していないのですよね。少なくとも都筑にはそう映ります。
彼らはおもちゃであり続けた結果(かどうかは知りませんが)半狂乱の嫁を持つ1名以外は独身のままです。アラフォーのおっさんたちをいつまでおもちゃ扱いすれば気が済むんでしょうね、彼女たちは。これだから度し難いのです。