当たり前だという認識から | 難病とは

難病とは

5年後に寝たきりになると宣告を受けた娘の難病が食事を変える事で治癒しました。
この経験を生かし、難病克服支援センターとして、難病を克服するサポートをしております。

難病克服支援センター
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40万年もの長い間、自然と共に生きてきてきました。
 
自然な物だけに囲まれて、自然な物だけを食べて生きてきたのです。
 
我々はその遺伝子の残りです。
 
なのに、ほんの60年前から化学物質に囲まれ、化学物質が体内に入りだしました。
 
加工食品や添加物、農薬、化学肥料、薬などに体が対応できず負担になるのも当たり前だと思います。
 
40万年もの長い歴史の中で、未経験な環境の中で、未経験な食生活をしています。
 
人が生き延びてきた歴史を振り返ると、自然を好み、不自然なものには弱いのは当たり前なのだと思います。
 
その経験がなかったのですからね。
 
 
また、我々は何度も飢餓の時代を乗り越えてきた遺伝子の生き残りでもあります。
 
ですので、毎食のように満たされた食生活には慣れていません。
 
それでは、内臓の負担が大きいのもやむを得ないでしょう。
 
好きな物を好きなだけ食べられる経験をしたことがないんですからね。
 
足りないことには強く、足り過ぎに弱いのは当たり前なのだと思います。
 
 
ほんの60年前までは、家電製品も少なく移動手段も足でした。
 
毎日たくさん歩いて移動し、手作業が多かったでしょう。
 
下半身は鍛えられ、それをポンプにして血は巡る
 
上半身は柔らかく、脳や全身への血流もスムーズ
 
そんな体をしていたのでしょう。
 
今はその逆で下半身は弱く、上半身はガチガチに硬い
 
パソコンやスマホ、ストレスが上半身の筋肉を硬直させています。
 
血流が悪く冷え性になったり、栄養や酸素が全身行き渡りにくい体なのです。
 
昔とは真逆の行動をしているのですからね。
 
便利さ重視の生活や行動が体を変えてしまったのでしょう。
 
血液がスムーズに行きわたらないと、体の不具合も修復できないのは当たり前なのだと思います。
 
また、病気になりやすいのも当たり前なんだと思います。
 

分業ではなく協力し合いながら生きてきました。
 
そうしないと生き延びることが出来なかったからです。
 
お互いの長所を活かし合い、力を合わせることを生きる力や喜びに変えて生き延びてきたのでしょう。
 
しかし、何十万年もの長い間、行ってきたことが、この50年で大きく変わりました。
 
合理化、経済性重視、そういう環境の中で、協力し合う関係性は薄れ、分業化されていったのです。
 
分業化されることで競争が始まり、助け合うことでの喜びは薄れていったのでしょう。
 
自分の存在感も感じることも減っていったのだと思います。
 
人間関係が変わり、その歪が心や体に現れるのは、歴史を振り返ると当たり前なんだと思います。
 
社会の中で自然体でいることが難しくなってしまっているからです。
 
むかし、むかしからずっと、40万年もの長い間、当たり前だったことが、この60年で急変しています。
 
これは人間だけでなく、それによって他の動物も地球も影響を受けて急変しているのです。
 
それが人間の体や精神に表れて、それ以外の動物や地球にも表れているのでしょう。
 
病気も、異常気象も、訳の分からない異常なニュースも
 
当たり前だと思えたら、可能な限り戻そうと思えますよね。
 
今と未来のことだけを考えて進んだ結果が今なんですから。
 
今の現状に違和感を感じたら、立ち止まって過去を振り返ることも大切です。
 
人間として当たり前だったことを当たり前に戻すこと
 
それが他の動物や地球にも優しい生き方なのだと思います。
 
シンプルに、それが一番の近道だと思います。
 
病気の急増や異常気象も異常行動も、すべては歪の表れです。
 
当たり前が当たり前でなくなったことによる歪なのだと思います。
 
「なぜ、こんなことになるのか?」と思うより
 
「当たり前のことが起こっている」と思える意識が大切な気がします。
 
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