長い人生、何事もなく一生を終える人はいないと思うんです。
一生懸命に生きていても、思わぬことが起きたりして、山あり谷ありですからね。
それでも前を向いて生きていくには、そのための原動力が必要なんだと感じます。
私も今年で58歳、10代と20代は景気が良くて楽しかったけど、21歳の時に母を喪い、病に気づけなかったことを後悔しました。
30代は所帯を持った責任と仕事に悩み
40代前半は娘が難病になり、また破綻した会社の負債を背負い、後半は私がパニック症と鬱になり
50歳でワクワクしながらで難病克服支援センターを立ち上げて、今はかなり平穏な日々を送れてますが、まだまだこの先も山あり谷ありは続くと思います。
どんな状況でも前を向いて歩いていくための原動力ってなんだろう?
それは”未来に少しでも希望が持てるかどうか”だと思います。
絶望の中でも未来に少しでも光を感じられるかどうか、微かな光でもあれば、それを頼りに前に進めるのだと思います。
それがなければ、気力なんて湧きませんし生きることに喜びや意味を感じることも難しいです。
ほんの少しでも希望が持てるから、どんなに辛い状況でも前を向いて歩いてこれたのだと思います。
それは、難病という状況であっても同じですよね。
少しでも良くなる可能性がある、今よりはきっと良い方向へ向かう、少しでもそう思えたら、その希望を頼りに前を向いて生きていけるのだと思います。
周りに辛い状況の人がいたら一緒に光を探してあげること、そういう思いやりや行動によって誰もが長い人生の中で誰かに助けられて、辛い時期を何とか乗り越えていけるのだと思います。
それが人間らしい生き方なんだと思います。
しかし、相談者さんからあがってくる受診後の報告は
悪くなること前提で薬や治療の話ばかりされる、だから診察がストレスで辛い、元気がなくなる
状態が良くなっているのに新薬を強引に勧められて、断ると凄く不安にさせられたり、怒って無視される、理不尽な気持ちになる
「薬を減らしたい」と伝えると、必ず再燃するような話をされて「それでも減らしたいなら、あとは知りませんよ」みたいに突き放される
そういう報告が嫌になるほど多いです。
確かに辛い現実や最悪の事態を伝えることも大切です。
しかし、少しでも未来に希望が持てないと生きる気力や喜びを得られないのが人間ですよね。
人を救えるのは薬や治療ではなく、それらを扱う人なのです。
体や病気のプロなら、心の状態が体にどれだけ影響するか分かっているはずです。
ならなぜ、そんな言い方になるのかなと。。。
少しでも希望が持てる話をしないのか?
少しでもちゃんと話を聞いてあげないのか?
不安な時って、話を聞いてもらえるだけでも人は救われるのです。
なのになぜ、逆に絶望させるの?
「辛い現実を一緒に受け止めながら、最悪のケースも考えて、それでも希望はあるから一緒に前に進もうよ」
人として、それだけのことじゃねぇ?
そんな気持ちで接してあげたら、心や体が楽になって回復にも繋がるんじゃねえ?
そう思わないの?
心が緩むと筋肉も緩んで、それだけでも体内の巡りも良くなりますよね?
病気の体にとって一番に大切なことだと思います。
人として、当たり前の接し方が出来るかどうかです。
どんな職業のでもプロであるなら、その前に人でいてほしいです。
どんな仕事でも人でいられるかどうか、それを忘れたら終わりですからね。
難病克服支援センター
https://kokufuku.jp/