病院に着くと、先生と待ち合わせをしている小児外来の待合に向かいました
ひさ君の入院中は、一度も足を踏み入れたことがなかったので、なんか別空間のよう
ひさ君が生きて、退院していたら
もしかしたら通うことになってたかもしれないんだな、なんて旦那と話していました。
小児科の受付の人に声をかけてから、しばらく待合に座っていると、「こんにちは~」と、K先生がやって来られました。
先生について行き、案内されて着いたのは、小児科医局の隣にある会議室。
その長い廊下の奥に見えるのが、ひさ君のいたNICU
ひさ君が精一杯生きた場所。
毎日毎日、必死に病魔と闘ってきた場所。
思い出すと辛かったけど、
できるだけ冷静に。
そっと思い出しながら、会議室に入りました。
先生も話しかけてくれたりしたので、ちょうどよかったのかもしれないな
会議室には、旦那、私、K先生、リエゾン看護師さんの4人。
解剖の結果、死因に関しては当日に聞いた内容とほぼ同じで。
小難しい話はカットして書こうと思います
心臓手術痕の部分(人工血管であったり弁形成であったり縫合部など)は問題なし。
上大静脈の閉塞に関しては、人工血管を入れて閉塞を取り除いたけれども、人工血管を繋いだところからまた血栓ができていて。。
血液循環がうまくできないので、心臓や肺に負担がかかり、心筋が分厚く、硬くなって心臓の動きが弱くなっていたそうです。
そこからついには心タンポナーデ、心不全を起こしていた…と。
胸水が止まらなかったのも乳び胸だけでなくそういった原因も大きかったとのこと。。。
血液が循環できないので、腎臓や肝臓も機能できなくなっていて…
肺うっ血だけでなく、肝うっ血もあったそうです。
本当に、ひさ君の体の中はボロボロだったことが改めて身にしみて涙が出そうになりました。
(今も書いていて泣けてきます…)
そして、
ひさ君が、この病院にやってきた日から亡くなる日まで、K先生が時系列にしてまとめてくれていました。
起きた状態、行った治療をもう一度おさらい。
いろんなことがあったな。。
その時の光景が昨日のことのように蘇る……。
最後の方は、旦那も泣けてきてプリントを直視できなかったそう。
やっぱり一番大きいのは、ノーウッド術後の心肺停止に陥ったことで。
「このショック状態を防げていたら…と悔しい思いをしました。」
と先生。
ショックが起きたのは…
BTシャント(人工血管)と血液の流れのバランスが保てなかった。
→→心臓に還ってくる血液が足りなかった。(シャント部分でアップアップになっていたのかも?)
ということだそうです。
「(シャントが原因で)ショックが起こらないように調節することは難しいですが、未然に防ぐことが課題です。」と。
あちこち血管を繋ぎ変えたあと、血流の流れを確認して、シャントの流れも確認できていたのだとしたら…
ほんとに後少しのところだったんだろうな、と思う…。
それを聞いて私たちもますます悔しい気持ちに
上大静脈閉塞の可能性が分かってから、すぐに対応してもらえなかったのはなぜか?と聞いてみました
「話し合いで出てきていましたが、造影検査をすることがひさと君にとってかなりのリスクを要した為、すぐには行えない状況でした。
検査室まで移動するだけでもリスクが高く、検査中も全ての点滴を止めることは命に関わるので、状態により判断していく方向になりました。
浮腫がひどくなり、点滴の漏れでカテーテル抜去した日、急遽、お電話させてもらって、検査を行うことになりましたが…」
(ブログ記事「54.またまた悲惨…」参照)
と先生の答え。
大したことではないけれど、気になっていたことをところどころ質問しつつ、答えをいただいて納得していくしかありませんでした。
そして結果説明は終了。
長くなってしまいました
ひさくんには、亡くなってからも大きな大きな役割を果たしてくれたことに再び感謝の気持ちでいっぱいです。
医学の進歩に少しでも貢献できることが喜びでもあり、いつかどこかで役立てる日が来るといいなと願っています
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