<2015/1/9改題。なんか誘蛾灯になってるようなので>
元々の題は「羽生結弦選手。嫌いで好き。」です。

羽生結弦選手。一時期嫌いになった。

世界選手権の後のインタビュー。なぜか髙橋選手の名前を出し、引退してないですけど、と、歴史上の過去の選手であるかのように語った。

そりゃないだろう。勝者が何も、怪我で出場できない選手、言い換えると「不戦敗の敗者」の名前出さなくても。過去になったと確定した選手ならともかく、まだ確定していない段階で語るとは、三冠王者にあるまじき言葉ではないか?
世界選手権フリー、楽しんでいたのだが、一気にどーんと気分が盛り下がってしまった。十代とは思えないしっかりした選手だと思っていたのに、なんか見込み違いしていたか?
ついでにいうとその前後の「羽生・町田少年漫画的掛け合い」も、うーん、という感じだった。いや、二人はいい。ただ「こういうさわやかさこそアスリート」とか言ってる外野の「一部」(あくまで一部)が気になる。
フィギュアが単なるスポーツ競技なら、音楽もラインストーンもビジューもいらん。スノーボードハーフパイプみたいにスポーツウェアで演技しろ、と思う。
少年漫画的要素自体は美味しくいただける。ただ、一部の人が「技術!ジャンプ!アスリート!」感覚ばかり語っているとそれって違うよな、と。それだけじゃフィギュアスケートじゃないよ。それに、そもそも少年漫画なら、主人公は敗者のことを勝手に語らないと思う。

しかし、私の親友は羽生ファンである。羽生くん嫌いなままだと彼女と楽しくフィギュア話ができない。そりゃ困る。ってんで「なんでこんな話題を出したんだ?」という疑問を自分なりに調べてみることにした。

で、調べてみて思った。「羽生くん、負けてる感じを抱えていた?」

私は2013から真面目に見はじめたので、2012年の全日本は見ていない。観たかったんだけど子どもにチャンネル取られて、裏番組の録画権利まで取られた。
で、全日本のフリー髙橋の演技を動画を世界選手権より後で見たわけだけど。「こりゃ、観客ほとんど持ってかれてるわ」と正直思った。とんでもない演技だ。ファンとしての贔屓目「だけ」じゃないと思う。それに、そもそも髙橋大輔ファン、会場に占める割合高かったわけだから、ファンの贔屓目が会場の主流でもある。

そして2013の全日本、あれも髙橋劇場。怪我人の演技と見守る客、既にスポーツの競技でも演技でもなくなってた。いや同調していない人もいたかもしれないけど、壮絶に美しかったから、多くのフィギュアファンならそれなりに見ほれていたと思う。あれもとんでもない代物だった。

つまり、羽生選手という人は、勝負では勝ち続けてるけど、ひょっとしたら?「観客を魅了したい、会場を支配したい」という欲求は満たされていなかった?と思ったら腑におちた。
あれは三冠「王者」の言葉ではない。負けた人(不戦敗は敗者だ)になおも言葉をぶつけるのは王者じゃない。
しかし覇者の雄たけびであれば納得がいく。彼は世界選手権の会場で、ついに観客を完全に魅了した(一応GPFでもやってるけど)。その達成感が語らせた、のであれば。

というわけで、納得したので私もまた羽生君が好きになった。
やっぱりフィギュアスケート選手には「観客を魅了し、その空間を支配したい」という毒をもっていてほしい。競技に勝つ、審判団にきちんと評価してもらえる演技をする、だけではなく、観客そのものの感情を揺さぶろうとする欲求。
ない選手もいていいけど、ある選手の方が好き。そして私にとってはフィギュアスケートという世界にいるべきなのは後者だと思っている。
というわけで「羽生君、来シーズン頑張ってー」と心から言えるようになってホッとしている。

むろんこれはフィギュアの知識もない、俄かファンの勝手な「妄想」です。本当は違うのかもしれない。でもそう思っていれば、心が落ち着くもんで、それでいいやと。