後編。

さて、シェークスピア四大悲劇の一つ、「オセロー」。これはヒーローというか、ヒーロー転落の物語。
ローマ人社会の中で成り上がり、ついには上流階級の娘の心を射止めて妻としたムーア人のヒーロー、これが物語の背景。
ムーア人は差別されている存在でもあるので、この段階で既にダークヒーローなんだけど。

物語そのものは部下の陰謀により、ありもしない妻の不倫を疑ってしまった男。妻を殺し、その後妻の潔白が分かって自殺するという話。

で、これ、日本では難しい話だと前から思っていた。
日本は今は一応、一夫一婦制だけど、古来の支配層や教養層は一夫多妻。妻の不貞は重ねて真っ二つ、あるいはあっさり離縁。思い切れなければ出家と相場が決まっている。
妻の不貞くらいで、世界が崩壊するような悲劇としてとらえる土壌は、日本にはないだろう、と思っていたのだ。
神話でも、アダムはイヴのせいでエデンから追放されても伴侶として添い遂げているけれど、日本のイザナギ・イザナミは最後には、地上と死後の世界で対立してなかったっけ?
日本男子は妻を失っても世界を失ったりしないのが普通。

実際、シェークスピアを数多く上演した蜷川幸雄も、「オセロー」は二度しか上演していなかった筈。他の悲劇と比べると、格段に少ない。
色々昔の話を思い出してみても、日本、悲恋の悲劇は多いけれど、一旦手に入れた妻の裏切りに対しての悲劇、というのは、あまりない。
日本には向かない、そう思っていたのだが…。

2012年シーズン、髙橋大輔の「道化師」。

「これ、『オセロー』じゃん。」

妻の裏切りを知った男。現実から遊離した舞台の上で、虚実が分からなくなって妻を刺し殺す。「オセロー」の世界に近い。


まったく。


日本人なのに『華麗』とか。端正じゃなくて派手である演技とか。


日本人なのに「セクシー」とか。


髙橋大輔は日本人のイメージの範疇から外れてる、とは思っていたけれど、演じる世界もですか。


しかも、「道化師」は本来ヒーローじゃないが、2012年全日本選手権の「道化師」はヒーローでもある。
全日本王者の座を手にするため、会場のファンの期待を背に、暗い物語を全身で表し、敗れる悲劇のヒーロー。悲惨な道化師と、戦う男の、イメージの二重写し。苦悩に満ちた運命にあがく戦士オセローのごとく。


まったく。髙橋大輔という人は。


私のちっぽけな思い込みを、軽々と越えていくんだよなあ。


これ、惚れた欲目じゃなくて、こういう演者だから、私、つかまったんだと思う。
シェークスピアのダークなヒーローじゃなくて、シェークスピア「でも」ダークなヒーローできます、という、型からするっと抜け出してしまう感じ。


まったく、始末におえない、私にとっての、ヒーローだ。


ところで。日本の「教養層・支配層」の文学には妻の裏切りに心破れる男は思いつかないけれど、庶民層ならあるのかもしれない。たしか、大輔さん、お祖母さんの浪曲聴いて育ったとか、山陽新聞に書かれていたような。
浪曲の世界まで今更お勉強はできないけれど、どうなんだろうね。興味はあるんだけどな。