「お疲れ様でした。そして、」の記事。多分、「大輔さんについての私の記事」ではアクセス数最高なんじゃないかと思う。

(実は、アクセス数最高の記事は別のスケーターのものだったりする。うーん、誰のファンのブログだ?不本意である。)


しかし、である。

あのとき、夜書いた手紙、記者会見前に出して後悔しないか?と思いつつアップしたんだけど。

まー見事にズレてましたね、ナハハ。

引退の原因は右膝の古傷であって、なければ選手生活続けたかったわけだから。

私の、別の道を選んだ方がいいからか?という感覚はズレてたわけである。

ま、いいんだ。私の書いているのはしょせん妄想、当たるも八卦当たらぬも八卦である。




それに、ね。

引退の理由はどうあれ、かなだいのお二方はもう前を向いていると思うしね。




実はあの記事を書いたとき、前日に観たプリンスアイスワールド公演のあるシーンの印象が頭にあって、それに引きずられていた。

あるシーン、それはかなだいのシーンではない。


あ、上のシーンでもないよ。



第一部ラストの「ムーラン・ルージュ」のナンバーの、小林宏一氏、通称コバヒロが、台に乗って氷の上に出てきて、ショーの司会者の役としてセリフを語り始めたとき、あっと思ったのだ。デニス・テンが演じた「The Greatest Showman」の主人公と似てるじゃん、と。

「ムーラン・ルージュ」のこの演目は、ムーラン・ルージュのショーで踊るダンサーたちの姿を演じながら、一方、そのショーはプリンスアイスワールドのスケーターたちのショーでもあるという二重性がある。

そして司会者コバヒロのセリフは、その二重性をこちらに意識させるのである。「ムーラン・ルージュにようこそ」と言うときもあれば「プリンスアイスワールド」と言うときもある。

そう、彼は既に単なる役を演じる者ではなく、プリンスアイスワールドという興行を提示する側になって、観てくださいと観客に呼びかける存在となっていた。

これは、テン様が「The Greatest Showman」の見世物小屋の興行主である司会者に扮しながら、同時に自分のショーの主催者として一人ずつ現れるスケーターを紹介していく、その構図とよく似ていると思ったのだ。


(デニス・テンアンドフレンズの「The Greatest Showman」の画像あり)



そして。

大輔さんが、この「ムーラン・ルージュ」のコバヒロのパフォーマンスに刺激を受けたという話は既に前日に仕入れていた。

「セリフや歌があっていいなあ」ということだったけれど、私はこの「私どもをご覧あれ」と提示する場を司る者である姿にも、刺激を受けたんじゃないだろうかと思ったのだ。


まあこれは単に私が、テン様の幻影に影響されただけかもしれないんだけどね。

でも、既に大輔さんは「アイスエクスプロージョン2023」でプロデュースを行なっている。場を司る者としての意識は大輔さんも持っているよね?

だから、そんな風に思えたのだ。



公演終わってすぐに引退発表なんて来たから、引きずられただけかもしれないけれど。

でも、高橋大輔という人は、必要に応じて天から新しい機能がインストールされる人のように思えるからなあ。

小道具を持たせるなと言われてた(私は第一次選手時代を詳しく知らないので、なぜそう言われるのか分からないんだけど)と聞いているのに、お芝居では見事に扱えたり。

セリフだって歌だって、その場になると噛まないわ見事だわ。

ならば、エンタメの世界に全振りとなった局面では、また新たな能力が天からインストールされて開花する、そんな気がしているし、で、その最初は、既に始めているショーのプロデュースの一層の進展ではないかと私は感じたのである。