私は何度か、フィギュアスケート競技をエデンの園に例えたことがある。
神(他者)が作ったエデンで、そこの若者は生活にまみれることなく、自分が追求したい技術と栄光を追いかける。
親やスポンサーの庇護の元で。
それは美しい世界で、そしていつかは卒業しなければいけないものだと思っていた。

だから、ソチシーズンで現役最後と聞いていた高橋大輔選手が2014年に引退するのは、私にとっては自然な感覚だったのである。
うっかりソチシーズンでファンになってしまい、引退は演技が観られなくなるという点でめちゃくちゃショックだったけれどね。ただ、理性では当然のことと思っていたのだ。
ソチシーズンでは、ご存知の通り町田樹選手が「エデンの東」を滑っていた。そのため私は「エデンの東」のあらすじや元々の旧約聖書のカインの話などをチェックしたりしていたもんで、「競技というエデンを離れ、エデンの東に自分の居場所を作る」というのはごく自然なことだと思っていた。

ただ、そんな居場所を作るパワーが(第一次)引退当時の高橋大輔という人にあったかというと…。ファンになりたての私でも、そうは見えなかった。



いささか心配しながらどういう道を進むのだろうと追いかけ続けた。
そして、現役復帰という話に仰天した。
私の理性は「アマチュア競技というのは若者がやるもので、いい歳をした大人がやるもんじゃないだろ」と言っていた。しかし、私の感情は完全に「行っけー」と言っている。なんでだ?この感情。

と思っていたけれど、だんだん納得していった。社会人が貯金をしてMBA資格取得のため大学院に行くように、彼は一度エデンの外に出たからこそ、エデンで得られる力を必要だと知り欲したのだと。だから彼の行動は彼にとって意味があるし、私はそのことを感覚的に分かっていたのだと。

そして彼は、大人としてエデン(競技)の住人になった。
最初は自分の貯金を切り崩すつもりで競技に戻った。その後、かなり好条件(?)のスポンサーがついたが、それは相手にも利を与える、win-winの取引だった。

アマチュア競技の選手が、スポンサーの傘下に入る形ではなく、自分が主体となって企業から協力を引き出す形で競技生活を続ける。
社員的な生き方ではなく自営業的な生き方で、競技生活を続けていくようになったのはいつ頃からか。私はそれほどスポーツビジネスに興味がなかったので分からない。
が、高橋大輔選手、およびその後パートナーとなった村元哉中選手はそういう生き方を選んでいるように見えた。(この文を書いていて気がついたんだけど、そういえば二人の所属は関西大学カイザーズクラブ、つまり企業ではなかったね。)



そして何年かたち、高橋大輔選手はその競技生活と平行して、自らがプロデュースするショー、アイスエクスプロージョン2023を開催した。彼はエデンの園に暮らしながら、エデンの東に観客にとっての楽園を作り上げたのだ。
「アマチュア選手やりながらショーのプロデュース。二足の草鞋を達成とはすごい」というSNSに流れる称賛の言葉をファンとして気分良く読みつつも、私の頭の隅をちらっとかすめたものがあった。「デニス・テン選手もやってたよね。」と。
いや彼はカザフスタンのフィギュアスケート振興のために拠点のアメリカと母国の間を行き来してたから、三足の草鞋かもしれない。そして…ご存知の通り彼は、最後の五輪である平昌五輪において本来の実力には程遠い成績しか残せなかった。正直、テン選手は器以上のことをやっていたのかな、と思ってしまったのである。
これはSNSでチェックしている、中央アジア関係の仕事をしている人が流した医療事情、診療が誤診だった話などの影響も受けている。日本やアメリカほどいい医療環境ではないみたいなのだ(テン選手はソチシーズンも体調不良により成績は乱高下している。たまたまソチ五輪ではいい成績を出せたけれど。)そういう不安定なところで踏ん張っていた彼が、ちょっとしたことでバランスを崩したとしても無理はないかな、と。もちろんそれは詳しいことを知らない人間の、極めて勝手な憶測に過ぎないけどね。



エデンの東で自ら楽園を作ることに着手した高橋大輔という人が、エデンを立ち去る。
それは、器以上のことに挑んで足を踏み外すような事態を避けられるという点で、いいことかもしれない、と思っている私がいる。
というか、楽園を作るだけでも器以上のことに挑みかねないよね、高橋大輔という人は。



私が町田樹選手の「エデンの東」を観て、エデンの園を出ていく若者を想像して、もう10年近く。
ようやく、本当にエデンの東に、私にとっての楽園が築かれていくのかな、と思っている。
いや、エデンの園での高橋大輔選手の演技もまた、魅力ありまくりだったけどね。
<了>