アイスショー「BEYOND」大千秋楽公演を配信で見た。




配信で見るための段取りが悪く、パソコンをテレビに接続し、配信を流せたのはショーが始まって少したってからだった。

夕食の準備も全部できていなかったため、フィナーレは見ずに切り上げたし、途中も一部の演目の間はキッチンに行って下ごしらえしたりしていた。

そういう、日常の些事が紛れ込む環境の中で、なおテレビの前に行けばすっと入り込める。

以前一度行ってて展開は知っているとはいえ、こんなに分かりやすい、かつ日常にもなじみやすい世界だったのか、とちょっと驚く。




配信を購入した理由は「メンバー全員揃ったちゃんとしたフォーメーションのショーを観たい」と思ったからである。

私が見た江戸川公演はマルティネスくんが故障でいない時期で、一人いないせいかフォーメーションにばらつきを感じた。それに「柔らかな優美さを見せる男性スケーターがいた方が見た目のバランスが取れそう。マルティネスくんがいないのは残念。」と思ったのだ。

で、メンバー全員がそろった最終公演が配信になるというので楽しみにしていて。中村優くんが故障で公演を休んだというので一度は諦め、しかし最終公演には彼も出てくるというので購入したのである。


しかし正直言ってしまうと、カメラは個々のスケーターに寄るので、全体のフォーメーションは分かりにくかった。

ただマルティネスくんが参加したことで男性スケーターの個性の幅が広がって、より楽しめるものになったとは思う。

うん、配信を購入した甲斐はあった。




江戸川公演は二階席だったので、フォーメーションは配信よりも見える。

一方、配信でよく分かるのはスケーターの顔の表情である。BEYONDにおける私の贔屓は山本恭廉くんなのだが、彼の顔のアップにこの公演での充実がうかがえて、とても嬉しい。

それ以上にこのBEYONDで一番好きな演目、「白鳥の湖」の王子のラストの表情を見られたことに、より配信の醍醐味を感じたんだけどね。いやー、柴田嶺くん、まさに役に入り込んでおりました。




で、見ているうちに思ったこと。「みんな、浅田真央さんに似てないか?」

何かが真央さんに似ている。そういう真央さんに似たキャスト達が場を盛り上げたところで、エネルギーが大きい、本物の大浅田真央がどーんと現れる。

そんな世界に見えてきたのだ。

とはいえ、キャストの皆さんの何が真央さんに似てるんだろう。みなそれぞれ個性的な演技をしているのに。


全てを出し尽くし、全てを観客に捧げようという雰囲気かな?そして、観客の前に自分をさらけだしているようなストレートな表現。

大千秋楽、つまり先がない公演だからこそ出し尽くそうとしているのか、それともそれ以前からかは分からない。

ただ、前に見た時にはここまでの、自分をオープンにしている感じのエネルギーは少なかったような。そして、以前は表現も、他のスケーターと違う自分の個性を見せつけたいというけれんみたいなものを(特に男性スケーターから)感じていた。その作為的な感じがない。

各ナンバーでの役割は体に染み透っていて、スケーターの本質的な部分と結びついていて。だから観客に向かって心をオープンにして演じれば、自然と観客が望む演技となる。

今の演技は、そんな感じなのである。




そして「そうか、それが浅田真央という人が多くの人々から愛された理由か」と思う。

観客の望むものを、作為がないと感じられるほど自然に、心をオープンにして差し出す。素直にさらけ出すものが観客の望むものから外れないよう、ストイックに練習を積み重ねる。そして観客が望む世界をごく自然に提示する。

浅田真央という人は、選手時代からそうだったような。


逆に言うと「観客が望むものは、私がそうだと思っているものは、きっと素晴らしいもののはず」という普通の人々に対する信頼を元に、彼女の演技は提示されているのだ。

そりゃ、多くの人から支持されても当然だと思う。普通の人が胸に抱いている、綺麗な世界。浅田真央という人は、そういうものを見つめているのだ。

昔から真央ちゃんの演技は、魅力があるけれど、ちょっとダサい部分ある?と私は思っていた。それは「普通の人」がそうであるからか、と気がつく。真央さんはそういう人々と一緒にいたい人なのだろう、多分。自分のショーは赤ちゃんオーケー、子どもオーケー、つまり、ノイズオーケーという人である。磨き上げた純粋な世界を作りたいのではなく、ノイズがある世界をそのまま受け入れて、そこにせいいっぱいの素敵な花を咲かそうという姿勢の人なのではないか。


そして、キャストとともに見事な花を咲かせていった。全員浅田真央となって。


そんなショーだと思ったのだ。