ワンピースオンアイスの配信を、AbemaTVのPPVで見た。


めちゃ面白かった。


最初はちょっと、入り込めないところがあった。昌磨くんとか本郷理華さんとか無良くんとか真凜さんとか、その人自身の声の記憶があるスケーターだと、声優の声を聞いたらズレを感じるのである。でも慣れてくると、スケーターの動きと声優の声が組み合わさった存在が、一人の人物として捉えられるようになる。

そうなると俄然面白い。

俗に言う少年ジャンプの「友情・努力・勝利」のモットーが芯にある(?)、鮮やかでベタつかない物語。

いやー、良かった。


とはいえ、横浜公演に行かなくて正解だったとは思ってるけどね。実は、二度落選した横浜公演は、初日最初の公演を狙ってたのである。まったく予備知識なくこのイベントの世界初演を観るつもりだった。

しかし、予備知識なかったらこのアイスショー、よーわからん、なんだこりゃ?と思ったんじゃないかと。具体的に言うと「ペルが鳥」ということなんだけどね。衣装も鳥を模しているけど、あれを見ただけで彼が飛べるということを理解できたかどうか、正直自信がない。

横浜公演の間のSNSでそういう情報を得ていたから、多分この配信でストーリーが追えたんじゃないかな、と思ったのである。




漫画のキャラクターが肉体を持って実体化した。腕が伸びるわけでもないのに、敵が吹っ飛ぶので拳が当たったと感じる。見事な芝居だ。

フィナーレの動画を観ていたから昌磨くんが全然昌磨くんの動き方ではないことは知っていたけれど、本当に別人で(とはいえ、カメラが寄ったときの美形っぷりに、昌磨くん自体を思い出すことはあったけど)。それはむろん昌磨くんだけでなく、それぞれのスケーターは登場人物になりきって見せようとしていた。皆様、すごかった。




とはいえ。

「このショーの面白さって、かなり声優さんの力もあるよね」とは思った。むろん、その声に完全に口パクで合わせ切るスケーター達もすごいんだけど。さすが音楽に合わせることを長年やってきた人達である。

しかし、声の演技の力そのものも大きいと感じた。

セリフというのは、舞台を回す力がある。それは「氷艶」でも思ったことである。シーンシーンは言葉がなくても作り上げられるのだが、それを繋いで大きな一つのストーリーにするには言葉で繋げる舞台回しがいるのだ。氷艶2017の猿田彦(弁慶)のように。


思索はセリフで観客に伝えられ、行動は肉体で伝えられる。そしてその二つを繋ぐ感情は、言葉と動きと両方で示される。声とスケーターの動きが合わさって、物語の登場人物となる。

その合わさった感ですごいと思ったのは、クライマックスのビビの「戦いを やめてください」だった。

それまで何度となくビビが語ってきて、しかしそれは弱々しく、実際戦っている者達に届かなかった言葉。

声優はプロとして、同じ言葉が繰り返されてもそれぞれに違うニュアンスを持たせ、スケーターはそれにきちんと反応してきた。

そして、このときのビビの声はそれまでと違って力強く、しかし悲しみゆえか、どこか怯えもあるのかビブラートがかかっていて…それに反応したビビ役の本田真凜の体もまた、凛として立ちながら微妙に震えているかのようだった。声と体が融合して、場を支配していた。このときの真凜さんは見事な主演女優だった。


もちろん主役のルフィも融合っぷりは見事だったんだけど。

私は少年漫画も読むけど根っからの少女漫画オタクなので、見事なヒロインには弱いのである。



で、この声とスケーターの動きが融合して一つの人物として氷上舞台に存在するの、ほんとすごいな、二人羽織みたいだなと思い。

でも二人羽織は上手く行かないのを笑う演芸だから、上手く行ってるこの氷上舞台にはふさわしくないよな、なんかいい言葉ないかしらん、と考えて。


ふと思い出す。

「ワンピース」って、ひとつなぎの大秘宝って意味だったよね。そっか、声優とスケーターの二人が融合して一つの宝のような存在となる、と考えればいいのか。

というか、俗にいう、婦人服のワンピースでもいいかも。上半身(声)と下半身(肉体)が繋がった服。


そしてそれは多分、ワンピースという作品をこれまでも演出してきたという金谷かほりさんと、スケートをよく知る宮本賢二さんの能力をひとつながりのものとして融合させたから生まれたものでもあるのだろう。