フィギュアスケートに関係ありません。
この頃、漫画アプリで色々な作品を読むようになっていた。
多くは無料のものばかり読んでいるけれど、どうしても続きが気になったものは課金もしている。「セクシー田中さん」という漫画は、その数少ない課金をした漫画の一つだった。
そして、連載中のこの物語がいつか完結することを、そしてそこまで読むことを楽しみにしていたのである。
なのに、作者の芦原妃名子さんが亡くなられてしまった。
テレビドラマの「セクシー田中さん」を巡る作者とドラマ制作者たちの話もそれ以前にSNSで目にしていた。
実を言うとテレビドラマの存在は知っていたけれどスルーしていた。あの漫画はテレビドラマに向かないと思っていたのだ。
あの漫画のキャラクターたちは、それぞれ社会の中で生きていくための姿勢というかスタイルというか、そういうもので周りの人と付き合っている。
そして、そのキャラクターというか仮面(ペルソナ)というべきか、そういうものからはみだした、割り切れない部分もそれぞれ持っている。
アラフォーの女性オフィスワーカー、優秀だがカチカチで仕事にいそしんでいる、ひっつめ髪でメガネの、友人もいない田中さん。彼女は子どもの頃からずっと地味に生きていて、自分自身もそういう人間であると思っている。
しかしベリーダンスに出会い、ステージで踊ると、彼女は鮮やかに魅力的な女性に変わったのである。自分には別の顔があることに気がついたのだ。
そして、田中さんに関わる男女もまた、「私(俺)はこういう人だから」ということで生きてきた振る舞いかたがあったけれど、田中さんと関わることでそれが少しずつ変わっていく、そんな物語なのである。
で、こう書くとテレビドラマ向きの分かりやすい話かと思うが、実は違う。
よくあるテレビドラマというのは、変化は普通プラスのもので、で、よかったねーというオチになる。あるいはマイナスな変化に仲間として立ち向かうことで、絆が生まれたり強くなったりするというか。
しかし、漫画のキャラクター達が割り切れない部分を表に出さないのは、それが生きる上で優位性があるからなのだ。自分の別の部分を出すと、よりしんどくなったり面倒くさくなったりするのである。
あ、自分がこういう行動してこなかったのは、エゴ故だった、自分ちっこいなーと思いつつ、しかしちっこいからって変えようとはしなかったりする。
そんな、ちょっと綺麗にはまとまらないタイプの物語なのだ。
テレビドラマ見たあ、スッキリしたあ、にはならないのである。
いや、トップクラスのテレビドラマはそういうスッキリしなさをも包み込んで、なお、ストーリーで引っ張っていくような作品もあるけれど、この漫画には人を惹きつける波乱に満ちたストーリーもない。普通のオフィスワーカーの物語だから、私たちの日常レベルのスケールなのである。
つまり、漫画の世界観を生かすなら、普通のテレビドラマの手法から外れざるをえない。しかし、そんな雰囲気は、テレビドラマの宣伝を見る限りではなかった。
多分、キャラクターの名と設定を借りただけで、良くある会社員の男女のオフィスラブという普通のテレビドラマになっちゃうんだろうなあと思っていたのである。
なのでテレビドラマには興味がなく、ひたすら漫画の続きが描かれることだけ期待していたのだ。
まさか、芦原先生がテレビドラマ制作陣に出来るだけ漫画に添った展開を求め続け、それが難しいと見て最後の二話の脚本を自ら描いていたなんて知らなかった。
Xにアップされた先生の、経緯を説明する苦渋に満ちた言葉を読みながら、私は「そうと知ってたらドラマ観てればよかったなあ」などと呑気なことを思っていたのである。
いや、Xのポストには苦悩と疲労みたいなものが感じられて、心配にはなったけれど、でも、そもそもテレビドラマなんて、オリジナルである漫画のこだまのようなもの(ドラマ自体が良質なものの場合は別だけど)、そのうち消えていくだけだよね、と思っていたのだ。
まさか、芦原先生が亡くなられるなんて。
私はエゴイストなので、実をいうとちょっとばかり先生に対する怒りがある。「なんで描くのを放棄してしまったんだ。漫画のキャラクター達は私の中で息づいていて、その後を知りたいんだぞ」と思ってしまうので。
でも、きっと、芦原先生は物語を動かし、進めていく自信、それだけの力が無くなった、そう感じてしまったんだろうとも思う。
私は作者のことを何も知らない。数ヶ月休めば…ほとぼりが冷めるまで離れていれば…気持ちも回復して、きっとまた作品に向き合えただろうに、と思ってしまうんだけど。
それが正しいかどうかは私には分からない。
とにかく残念なのだけれど。それでも。
芦原先生のご冥福をお祈りします。
と描くしかないよね。
登場人物の田中さんや朱里さんは、私の中で多分、これからもしばらく生き続けていると思う。
そういう存在に出会わせてくれたことに感謝してはいるのだ。